大杉栄と伊藤野枝は悲劇だったか

 
 大杉栄と伊藤野枝のこと
 
 「左翼」、「左巻き」って言えば彼らはまさにその元祖です。
 
 アタシには実は子供のじぶんから、この二人の話はもう恥ずかしい話でしかなかった振り返りのこと。
 
 
 昔はこういう左翼の歴史みたいなものを美化しようとする風潮というのがあって、学校教育なんかでもそうした偏向が必ずありました。
 
 それは戦前の思想統制、言論統制への批判の文脈の中でのことですが、どうにも左巻き勢力による自己正当化という印象が強かった。
 
 しかしだいたい、それなら今の「ポリコレ」なんてよっぽど言論統制ではないのか。
 LGBTとかって個人に性的なレッテル貼りをするのを歓迎するなんて、なんか履き違えてないか。
 
 アタシには勝手な理屈にしか思えません。
 


 しかしともかく、そんな「戦後レジューム」の、いわば左翼的全体主義の中ではw、アタシなどの若輩者、子供が大っぴらに言えることではなかったwww。

 
 
 大杉栄は無政府主義者でした。
 
 そしてそのコミューンにいるとでも勘違いしたのか、大杉は身辺の女に手当たり次第に手をつけて問題をやたらと起こし、最後には伊藤野枝と落ち着いたのでした。
 
 彼女も似たような淫蕩、放漫な享楽主義者、よく言えば「恋多き自由なオンナ」だったからお互いに落ち着けたのでしょう。
 
 
 しかし大杉栄と伊藤野枝は危険思想の持ち主として憲兵から目をつけられ、関東大震災の混乱に乗じて憲兵らにリンチされ、二人は殺害されてしまいます。
 
 発見された彼ら二人には激しいリンチの跡、憎悪の痕跡があったとか。
 

 

 


 しかし、昔からアタシはこれを悲劇とはずっと思えなかった。
 
 無政府主義に傾倒していたという大杉栄のこともアタシには馬鹿みたいに思えた。
 
 無政府主義なんて途方もない妄想であり、ないものねだりに思えます。人は自分自身を支配しているというのに。結局は独裁志向ということでしょう。
 
 そして伝え聞いた彼らの放縦放埒が何よりアタシには嫌だった。
 
 
 これが、なんでもない連中、市井の土くれの人ならいいのです。
 ところが彼らは本を出版し、人に影響を与えようとし、政治思想を流布して社会変革を訴えていたはずです。
 
 そんな連中が下世話な下半身スキャンダル、性スキャンダルで世間を騒がせるとなると、実にみっともないこと甚だしいから。
 
 「モナ夫」を筆頭にw、山尾、今井ら女性議員・・・いちいち挙げるまでもないww。
 日本の政治家にもそんな連中はいくらでもいます。
 
 こういうことを「情念」とか「恋愛のもつれ」なんて言うなら、アタシには高橋おでんとか、阿部定なんかの方がよっぽど悲劇に思えたものですw。
 
 

 大杉栄と伊藤野枝は憲兵のリンチに逢って惨殺されたということでしたが、無政府主義なんかの政治思想が危険とされた挙句の弾圧だったとか、そんな悲劇の主人公であったとはアタシにはまるで思えませんでした。

 
 つまり、彼らはそのどうしようもない淫蕩に対して怒りを向けられたのではないか。
 
 例え危険思想と言えども政治のはしくれです。
 それを取り締まる憲兵連中は真剣にやっていた。
 
 ところが、大杉らの中味は実に適当で、下半身にダラしのない無責任な連中でしかない。
 
 彼らにそんな政治思想を語る資格などない、と、憲兵らは激しく怒りを向けたのではないか。
 
 破廉恥にもほどがある、と。


 何をいい加減な覚悟で世間を騒がせているのだ、しゃんとせい、と。
 
 そういう激しい怒りがあっての憲兵の凶行だったのだとアタシは思う。
 
 カッコのよいことを言ってもその体たらく。怒りはひとしおだったとアタシは思う。
 

 

 少なくともアタシはそう思ってます。
 
 彼らが憲兵から激しい暴行を受けていたというのも、それを証明するものだとアタシは思う。
 
 だいたい、権力というのが暴走して邪魔な連中を排除するという場合、あまりそんなやり方は取られないものです。憎悪などない。
 
 第一、犠牲者は悲劇のヒロインになってしまいなかなか闇に葬ることはできないものです。
 逆に反権力がチカラをつけてしまうぐらいです。
 


 まあ、中国やナチみたいな独裁はまるで別次元ですがw。
 
 
 アンサン・スーチーなど自宅軟禁と慎重にやっていたがとうとう失敗し、まさにそれでした。
 彼女は影の独裁者となりロヒンギャの虐殺を仕向けた。
 
 今、オリンピックでクニに帰りたくないとか、今から早々とミャンマー人選手で言っているのがいるらしいですが、ロヒンギャ族の虐殺はほとんどのミャンマー人らが支持していた。
 その上で起きたことです。
 
 いったいその検証はどうなっているのか。
 
 申し訳ないですがw。
 
 
 しかしもし、あえて大杉栄と伊藤野枝のことを「悲劇」とするならどうか。
 
 それは淫蕩に明け暮れるだらしのない男が、偶然にも教育を受け、政治思想を知ってしまったことから始まった「運命の悲劇」とはできるかも知れません。
 
 それは転げ出したら止められない運命の悲劇だった。
 「こじらせた」挙句の末路でした。
 
 もし罪というのがあるなら、イタズラに流布された政治思想にあったのだと言えましょうw。
 
 もし何もなければ、大杉栄などただのナヨっちい浮気性。女好きのどうしようもない野郎で済んだはずです。
 オンナのトラブルを起こしてせいぜいボコられる程度、そんな程度だったでしょう。
 
 それがなまじ政治思想という「武器」を手に入れ、世間を振り回したものだから起きた悲劇、そんなことは言えるのかも知れませんw。
 
 
 アタシが憲兵の立場だと思えばよく分かります。
 
 思想統制を強めている取締り当局にとっては、どんな危険があるのか、どんな思想なのかをまず考えないとしょうがありません。
 発禁にするならするで、その中味を読まないといけない。
 
 ところがその中味に書いてあるご大層なことととは違って、ご本人らの放埓な生活は唾棄させるようなものだった。
 彼らの下半身のスキャンダルは許せないほどその言論と乖離していて低俗なものだった。

 

 弾圧するにしても、彼らにはそれに値するものがまるで見当らなかった。
 まるでテキトーなものだった。
 
 世情を気にかける憲兵として、そこに激しい怒りを覚えたのだろうとアタシは思う。
 
 時代は揺れ動いていました。
 新政府統治と近代化のはざまで大衆の心は危険なほど揺れ動いていた。
 
 そこに扇動家が自分の淫蕩を隠そうともせず、不埒な人間が自身に正義アリとしていたのです。
 
 悲劇はむしろ憲兵らの方にあったのかも知れません。
 
 
 昔から、子供の頃からこういう近代史の解釈についてアタシには違和感がありました。
 
 こういうことが昔は「悲劇」だと言われていたものです。
 「運命の悲劇」だったものが何らかの意図をもって「悲劇の被害者」へと摩り替えられる。
 
 そういう政治利用、他人に踊らされるのはアタシは御免蒙りたい。
 
 
 

 
※ 話が重くなってしまったwww。
 
 アタシには似つかわしくない話だ。
 それになかなか肩が凝るwww。
 
 軽やかにやりたいものなんだけど・・・。
 って、欝になりそうだから、もう止しときましょうwww。
 
 
 大杉栄と伊藤野枝を題材にした多くの著作があるはずです。
 
 ご興味があったら調べてはいかがでしょうか。
 
 
じくまであこせきにんで
 

 

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