ポリコレという政治的兵器の本質

 「ポリコレ」という言葉がある。

 「ポリティカル・コレクトネス」の略。
 そのまま訳せば「政治的な意図から(言葉を)正しく修正させようということ」そんな感じか。
 いやはや、「ポピュリズム」とかとトランプを言ったのと同じ、左巻きの連中はとにかくこういうレッテル貼りが大好きだwww(笑)。
 
 
 しかしその「政治的」という言い方には引っかかるものがある。なにしろ中立ではなさそうだからだ。


 アメリカでは北軍と南軍、アメリカの南北戦争の歴史を正しく伝えることさえタブー化しているという。女関係の嫉妬と被害者意識に狂った韓国人が銃を連射して30人以上を殺したバージニア工科大の事件は追悼式がほとんどない。
 慰安婦の嘘がまかり通り、朝日新聞によって誤報とされた事実は無視されている。徴用工なんてものも出てきた。いつまでも続く嘘。
 


 こんなんで、いったいどこに「コレクトする」なんて風潮があると言えるのか。
 
 
 NetFelixなんてこんな動きに気を使ってしまい、そのあまりにヤラセ感や無理やり感が強い作品ばかりになっている。
 黒人の天才科学者がいたり黒人男性と白人女性のカップルがいたり(黒人女性と白人男性の場合は未だにタブーだwww)、画面にはまるで一定の割合を占めないとクレームが付くかのように必ずアジア人が紛れていたりする。
 
 すなわち、「ポリコレ」とは、左巻き的なこと、「大衆操作」のことでしかないのだ。
 
 
 考えてみれば日本の「言葉狩り」がそうだった。


 「障害者」と言えなくなり、「気狂い」と言わせないようにした。
 「盲滅法」は差別用語となり、ヒソヒソとタブーにされた。
 


 今はポリコレで「看護婦」は「看護師」ということになっている。
 例のLBGTかなんかのつながりかwww。
 いや、その話はアタシ的には結論は出ていたはずだった。
 すなわち、LGBTとは差別的な政治利用であるということ。「お前がホモだと言ってセクシャルマイノリティと権利を主張するなら、守ってやる。だからちょっと俺でイチモツを勃たせてみせろ」て、www(笑)。
 
 
 要するにポリコレってのも差別状態をとことん維持したい左翼特有のベクトルが働いているものだということだ。
 差別を温存しタブーとし、政治の道具にするために。
 米民主党もせっせとやっている。トランプの実直さを攻撃するために。在任中から差別的発言があったなどと騒いだ。
 エセ黒人のオバマは在任中、黒人が警官に撃ち殺された時、パーティーで楽しげに踊っていたものだ。アメリカの国民はそんなオバマを黒人だからと逆に非難できなかった。
  そうして利用される。
 「反差別」という主張は、実は差別維持のためにあるとしか言えない。
 
 
 平等だのと感化されて、それほどまで平等化を言うというなら「盲目の裁判官」でも登用したらどうか(笑)。
 ダウン症の奴にだって電車の運転ぐらいできる。
 
 
ん?
 「盲目の裁判官」? 
 いいねえ。
 いたらいいなぁ(笑)。
 
 いないことを不思議だと誰も思わないのか(笑)。

 

 

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