テクノロジによる栄枯盛衰、チャットGPT。AIは地球にどう巣食うか

士業の衰退とテクノロジ

 ワープロが生まれて「行政書士」が要らなくなった。
 
 コンピューターが生まれて「税理士」が要らなくなった。
 
 データベースが生まれて「司法書士」が要らなくなった。
 
 ネットが生まれて今、「弁護士」が不要になりつつある。
 
 ・・・チャットGPTが生まれた今、何が不要になるのか。
 

 時代に取り残されてしまう人々はいるものです。
 その最もいい例が資格商売、サムライ商売と呼ばれる連中かも知れません。
 なにしろ資格制度に依存した人生設計ですから、そこには資格への甘えがあります。
 向上心はすぐに失われ、そして腐り始めます。
 傲慢で身内意識ばかり強くて進歩がないのです。
 
 そもそも彼らには自分より知識のある資格のない人々が受け容れられません。
 そのほとんどが社会不適合者のような人間的に疑問があるような連中ばかりなのにはつくづく驚かされます。
 
 「現代究極のニート」と言えるかも知れません。
 


 行政書士

 その昔はワープロは「和文タイプ」というものでした。
 高価なものでしたから自分で習得するわけにはゆかず、訓練という先行投資が必要でした。
 機械があれば字の汚い人々の代わりに文書を清書する商売ができました。
 公的な施設、運転免許の更新会場やパスポートの申請場所、その隣に陣取って、まるで観光土産店の客引きのよろしく訪れる人々を勧誘していたものです。
 いわく、「タイプしたキレイな文字だと意気込みが伝わって査察官、監督官に申請が通りやすい」というものでした。
 
 今からすれば呆れるばかりの話ですがあながち嘘ではなかったから困ったものでした。
 行政もキレイにタイプされた申請書を優遇した親方日の丸仕事の時代があったのです。
 
 日本語のワープロが発売され廉価に入手できるようになると彼らは必要なくなりました。お払い箱です。
 


 税理士

 次に税理士という職業が不要になりはじめます。
 コンピューターのソフトウェアで処理ができるようになります。
 それこそ今ならクラウドでもできることです。どこからでもアクセスして処理できる。
 売り上げ管理や税申告もコンピューター上です。
 ごく簡単な操作で集計ができるようになりました。
 結局は足し算と引き算でしかないのです。計算が正確にできるコンピュータにとって代わられたのです。
 経理など、それこそ現状の経営分析ならいざしらず、税務申告程度ならすっかり自分でできるようになってしまいます。
 
 その彼らは今は脱税指南など違法なところに活路を見出そうとしているようです。
 あまりに哀れな末路としか言いようがありません。
 

 司法書士

 続いて司法書士の資格が役に立たなくなってゆきます。
 行政もデータベースを活用し始めます。データベースへの接続が誰でもできるようになったのです。
 司法書士などいらなくなった。
 特許を自分で検索して出願ができます。類似検索もいくらでも出るようになりました。
 出願テンプレートもいくらでもあります。
 
 制度に執着してしまうと先がありません。
 運用するのは人間です。資格にあぐらをかいているものだから所詮は人間の問題だということが分からなくなるのです。
 

 弁護士

 そして今、ネットの普及が進んで弁護士が慌てています。
 弁護士はただの「法的なことで代理人ができる」と言う資格に過ぎません。実は司法の原則すらすれば本来、訴訟は本人がやるものです。
 本来は法知識がないシロウトが法廷で手間を取らせるのを避けたり、法的な手順が分からずいちいち説明が必要になったりして裁判所の仕事が謀殺されないよう弁護士が使われる、そんな資格に過ぎませんでした。
 やがて、弁護士をつけなければ判事に心証が悪い、などと都市伝説化し既得権益化してゆきます。
 
 そこに法制度の正常化が叫ばれ法制度改革が進められました。今は弁護士があり余っています。
 ところが、過当競争になったのに加えて、いくらでも判例や類似事例がネットで入手できるようになったのです。法律論争のポイントすらネットに公開されるようになりました。
 理解力さえあれば誰でも弁護士よりずっと高度な論陣さえ張れるようになってしまったのです。
 
 こうして、テクノロジの進歩は次々と仕事のオチこぼれを産んできました。
 悪いのは誰なのでしょうか。決してテクノロジのせいではありません。
 資格、すなわち既得権益にしがみつこうとする安易さが理由なのです。
 結局は自業自得です。
 

生存原則

 
 「変化する環境に適応できた者だけが生き残る。」
 
 そんなことが言われます。種としての生存原則です。
 
 もちろん、従って「SDG」、「サスティナビリティ」などという言葉などは妄言でしかありません。
 戯言です。
 みんなでこの世界、地球を温存し繁栄し続けよう、そんなことを考えていたら自分が滅ぶのです。
 我々は一人ずつ生き残ってゆくしかありません。
 
 地球環境が人類によってなんとかできる、そんな考えがそもそもおこがましいのです。
 
 ウクにさんざん武器を供与して劣化ウラン弾まで供与して、それで地球環境だの脱炭素だのというのは呆れた話です。
 今は欧州では脱炭素というお題目とは裏腹にガンガン石炭を燃やしてるそうですw。
 
 グレタなどはダムへの攻撃と決壊を証拠もないのにロシアのせいにして非難しました。
 やはり彼女はグローバリストの操り人形で、ジョージソロスから資金提供を受けていたというのは間違いではなかったようです。
 
 SDGなんて大嘘、ESG投資なんて「ハメ込み」の一種なのです。
 馬鹿馬鹿しくて笑うしかありません。
 
 
 一方で、そうした「適応力」というのは現実をストレスなく受け流す処方箋でもありません。
 最近、そんな風に誤解して受け取っている若い人を知ってアタシは愕然としたことがあります。
 「適応力」を適当にやり過ごすことだと思っている若い人がいたのです。
 だから、何か文句を言われてもノラリクラリと受け流したり、重要なことをまるで他人事のようにして責任から逃れようとする。
 どうもそれが処世術だと彼は考えていたようです。周囲からは浮いてしまっていましたがw。
 
 とっさの責任転嫁、とっさのバックれwww(笑)。
 話を逸らす。 何でも冗談にしてしまう。
 まるでそれでは漫才師が司会をやっているようなものです。
 どうやら本気でそんなことが「適応力」だと思っているらしかった。呆れたw。
 
 それでは「適当力」ですw(笑)。
 植木等じゃあるまいに。彼はもうとっくに亡くなってしまったw。
 
 そんなことで生き残ることなどできません。
 人生に惨めさが染み付いてしまうと、どうしてこうもみな吉本芸人贔屓になってしまうのか。アタシは不思議でなりません。
 あの程度の悪い連中に共感してしまう感受性というのがアタシにはどうしても分かりません。余談ですがw。
 


チャットGPT

 これは今起きているテクノロジの進化です。やり過ごすことはできません。適応できなければ滅ぶ。
 これから先のことを考えたネットから先のテクノロジというもの、AIやチャットGPTが身近に使えるようになっていったらどうなるのでしょうか。
 
 巷で言われているように文書作成をする人がいらなくなるのでしょうか。
 官僚がいなくなり、中間管理職がいなくなるのか。
 人々の情報交換、コミュニケーションはチャットGPTというAIに取って代わられるのでしょうか。
 アタシはそれは甚だ疑問だと思っています。
 
 それは政府の「マイナ」に媚びようとする連中のチョウチン記事だろうとアタシは思ってしまいます。
 世の中はとにかく「システム化」なんだと、妙にこうした生産活動の伴わないシステム化経済を盲従している連中がマスコミにはいます。
 まるで時代に遅れてコンピューターに初めて触れたような感覚ではないか。
 
 「ポイ活」なんてことが巷間よく言われれますがどんな洗脳かと思うばかりです。
 いったいどれだけの労力をかけて、どんだけ利益になっているのか。要は囲い込みでしかないのに、まるで中毒のようにさせようとしています。
 それで収益を得ようと小手先のビジネスを回す。そのどこにも生産性や付加価値がありません。
 またそれを担いで騒ぐマスコミ。
 最近はそんな言論ばかりです。
 


 「チャットGPT」というのは自然言語の生成を行うAIだとされています。
 これを使って機械が自動で文章を作成し、人とのコミュニケーションが人を介さずにできるというわけです。
 
 大まかな仕組みはFEP、漢字変換の辞書のようなものと言えます。
 設定によって漢字変換辞書でその変換履歴をグーグルやマイクロソフトに送っている人がいます。
 PCの漢字変換にはそういう設定があります。
 
 そうすると、全体としてFEPが賢くなる。日本中から漢字の変換履歴を送信させて集め、言葉の組み合わせをパターン化させます。いわゆる機械学習というものです。それをユーザー一人ではなく大勢から集める。
 タブレットでも一文字入力すると候補がズラりと出てきます。アレです。
 
 チャットGPTはその文章版ということです。
 ネットからとにかく文章を集めて大きな辞書のようなものを作ってゆきます。
 文書とはその内容ですから、それをAIによって生成できるようにしていくと言われています。
 センテンスを組み合わせ、単語を組み合わせて文章を作り、様々な組み合わせの文書が無限に作れるはずだ、ということになりますw。
 
 辞書ができていれば何でもテーマをぶち込めば文書ができるというわけです。
 人間はどんな文書を生成させたいか方向性さえ指示すればいい。
 
 オチ、サゲ、マクラなども自由に作れるw。
 読んだ人が人間が書いたものと感じ違和感がないと感じられればよいわけです。
 それでコミュニケーションの一部がチャットGPTに丸投げできるようになる、と言われているわけです。
 

チャットGPTが生まれて何が不要になるのか。

 いわく、チャットGPTで作家が要らなくなるということが言われています。
 しかし創作でそんなことができるのでしょうか。
 創作は人の読みを裏切るものです。
 今のところチャットGPTでそこそこ読めたものが作れたのは童話なんだとかw。
 
 
 マニュアルだって自動で生成できるようになる、そんな煽りも氾濫しています。
 しかしマニュアルというものには「マイルール」がつきものです。
 会社が決めた部品の名前、定義をムリヤリ通そうとしますw。
 世間に倣って「サイドメニュー」と言えば済むものをわざわざ「サイドワインダー」なんて呼んで客にもそれを言わせるw(笑)。
 ありきたりな名前でないものをわざわざ作るのです。
 でないと使い手に忠誠心が生まれません。顧客が製品に没入してくれないのです。
 
 あっちのサイトでは「ご成約」とあるのにこっちのサイトでは「エンゲージメント」なんて言ってたりしますw。
 こっちはただ同じサービスや価格を比較してサイトを利用しようとしているのですが、どれがどれだかまず使い方から覚えないといけません(汗)。結果として使わないサイトの使い方も覚えさせられる。
 
 余談ですが消耗品の電池や紙パック、オイルとか、使い捨てのフィルターとか、そういうものを割高な純正品で買っている人がいますが、それはそんな魔術が効いている人ですwww(笑)。
 
 
 また、プレゼンが驚くほど簡単に作成できるようになる、などという話もあります。
 プレゼンなんてコミュニケーションそのものとされてきましたが余計な修飾ばかりになってきたのが昨今です。
 スライドで三つのキーワードを羅列されるのもいい加減に見飽きましたw。
 そんなやり方がまたチャットGPTでパターン化してゆくだけのようにも思えます。
 
 そうして、ホワイトカラーの約7割が必要なくなる時代になるという話になっています。
 文書作成などバイト程度の価値になってゆくのだ、と。
 まあ、文書は(キロ)バイトには違わないわけですがww。
 
 
 しかしもし文書作成が不要になるとしても、きっとそれらはみな現在でも意味のない非効率な場面での活用になることでしょう。
 我が国のビジネスは驚くほど非効率で生産性が低いのです。
 
 それだけでは飽き足らず今は顧客をその非効率性に巻き込んでいます。
 ポイント手続きやら派手派手しくやたらと重たいサイト、意味不明の何重もの確認クリックをさせたりすることは日常の光景です。
 実際にあった話ですが、ネットバンキングの口座開設をしようとしたら何度も書類不備と返されてその理由が「電話番号を左詰めで書かなかったから。」、「名前のちょうど上になるようフリガナがなく、少しズレていたから。」なんてことが本当にある(笑)。
 そんな馬鹿なことに今の顧客は巻き込まれているのです。
 
 
 世の中にはこんな風に必要のない仕事があまりに多い。官僚がそうした非効率を産み出しています。
 逆に必要な仕事はなぜか軽んじられています。官僚は競争を嫌うからです。「ワープア」なんてそんなことが本質です。
 
 
 文書作成に話を戻せば、まず、分からないはずのないことが分からない、そんな人たちがいます。
 単純なことがどうしても理解できない人がいる。思い込みです。
 ゲシュタルト崩壊してしまった人もいます。考えすぎです(笑)。
 押して回せば着火するのですが、どこまで押したらいいのか、と、迷って考え込んでしまう人ようながいます。
 
 そのためのいわばセーフティーネットになる文書が必要になります。
 そんな文書は機械に作成をやらせられるでしょう。
 
 念を押して確認する冗長さが必要な場合もあります。
 理解できるならほとんどの人には必要ありません。不要な文書、取り説です。
 
 それは責任の所在がゆえの繰り返しということもあります。
 何度も言って聞かせ読ませておいて、それでミスが出ても管理者の責任ではない、と、そんなことができるという理屈ですが、今時、どこまでそんな知らん顔が通用するものかw。
 やはり、よほどくだらない場合でしか使えない責任回避手段ではないのか。
 
 
 考えてみればそんな、意味のほとんどない非効率なコミュニケーションというのもあるわけです。
 それがチャットGPTに代わってもらえるわけです。
 確かにこれに関わっている人たちは不要になります。
 
 しかし、もしそれが7割だとしたら、7割もの人たちが恐ろしいほど非効率なことに携わっていることになります。
 世の中の7割が無駄なことということになってしまいますがw。
 

今のAIは本当なのか

 こんなところにAIによる文書生成、コミュニケーションにAIが使われるというなら分かります。
 すなわち「誰にでも分かる文書を作れる」ということです。
 
 それがAIを使った文書作成、チャットGPTなのだとアタシは思います。
 だから当然、それは人の心を打ったり人を動かすものにはなりません。
 もともと「あればいい」「あって当たり前」という程度の、実は無駄な文書なのです。
 
 
 なお、チャットGPTは文書を作成するAIとされています。
 「AI」と言うのであればは論理ロジックを自動で構築できるようなことを想定しているはずですが、果たして本当にそうなのかは寡聞にしてアタシは知りません。
 本当なのでしょうか。
 
 実際、コロの感染拡大時、なぜかお得意のAIによる感染拡大のシミュレーションはされませんでした。
 アタシはそれが不思議でならなかった。AIと騒ぐ割にはなんでそんなことを手がけないのか、と。
 もしかするとそれほどのことはまだできず、途上ではないのか。
 世の中はAIについて誤解しているかも知れないとアタシは思うのです。
 
 
 AIはアルゴリズムに基づくものではないはずです。あらかじめ作ってあるものではありません。
 条件分岐ではないはずなのです。あらかじめプログラムしておいたものではないはずなのです。
 そのアルゴリズム自体をAIが生成し、条件分岐を生成し、監査までを行い、結果さえ保証できるものでなければなりません。コンピューターなのです。
 プログラム自体を自律的に生み出し成長してゆくのでなければAI、人工知能とは言えないのではないか。
 
 実際、こんな素朴な疑問の通り、「バグ取り」や「セキュリティホール」についてAIが使われたという話はまるで聞きません。
 どだいAIというものは誇張されているのではないか、そこはまた別の話(笑)。
 
 つまり、AIが人類にとって危険なものになるかも知れない、そんな警鐘さえされたりしていますがそれは随分と先の話かも知れないのです。
 そのこと自体は間違っているとは思えませんが。
 
 コミュニケーションとは何でしょうか。その本質とは。
 それは究極には伝達したい情報をただ人に伝えることではないはずです。
 今のマスコミがやっているように「ロシアが悪い」と洗脳することではないw。CMのように同じことを何度も繰り返すことではありません。
 
 それは各自が判断につながるための情報を共有するということです。
 
 共有できるよう自分なりの情報を伝え、相手は受け止めたことを返すということです。
 それは人を見ていないとできないことです。
 そうすると、それはAIにはできないはずなのです。
 
 もし仮にできるとすれば、人間のキャラクターというものをやはり辞書のようにし、「人間の個性」という大規模な生成モデルを作る、それならきっと別なのでしょう。
 やはりそれはまだまだ先のことのように思えます。
 

結語、チャットGPTの使い道

 今、マスコミにはやたらとチャットGPTによる変化を煽って騒いでいる連中がいます。
 彼らこそチャットGPTで真っ先に失業すべき連中なのでしょうけどw。
 確かに今の中味のないマスコミ記事などチャットGPTで生成できてしまうでしょう。
 
 ではチャットGPTはまるで有用なことには使えないのか、その利用ができないのでしょうか。
 考えられる一番有用で具体的な使い方です。
 
 
 それはグーグルやその他の検索エンジン、彼らが劣等な文章や価値のないコンテンツと、そうでないものを見分けることに使われるだろうとアタシは思っています。
 
 つまらない内容の記事、切り口の中途半端な記事、ありきたりな解説、脈絡のおかしな煽り、ステマ、そうした劣等なネットのコンテンツを検索結果から排除する仕組みに利用されるのではないか。
 アタシはそう思うのです。
 
 そうしたら言論から真実をまた人類は取り戻せるかも知れません。
 今はあまりに言論が歪んでいるからです。
 しかしそれを奪ってきたのはもともとは検索エンジンの検閲であり、付和雷同する既存の御用マスコミではあるのですがw。
 
 だからって別にそれは光明でもなんでもありません。これまでの歪みが正されるというだけでしかないのですからw。
 SEOなどと言って言論の世界が歪んだ現状があります。今で言えばウクやワクをキーワードにして検閲さえするようになったグーグルの罪があります。
 同調し付和雷同するだけのマスコミの罪があるというだけです。
 
 
 今、グーグル検索の結果がまるで役に立たないのは検索エンジンがその中味を見れていないからです。
 彼らはネットのコンテンツを「構成」や「ガイドライン」で判別しています。その内容ではありません。
 文章構成の妙、心に訴える表現力、それはグーグルには判定できません。
 検索エンジンはキーワードだけで物事をカテゴライズしているというだけです。
 
 従ってチャットGPTはこのままでは検索エンジンの優位性を覆すことになります。
 チャットGPTによって生成された文書が検索の上位に来てしまうことがあり得るからです。
 もちろんそれはグーグルには認められません。検索エンジンは有用でなければならないからです。
 そうでなければ検索エンジンどころかネットのコンテンツすべてをチャットGPTでグーグルが自前で作って提供してしまえばいいということになります。
 
 
 グーグルがチャットGPTを手がけようとしている、そのことはグーグル自らが現在の検索エンジンのモデルを否定することになると言えます。
 そしてそうなってゆく。
 破壊と創造の段階に至ってゆくはずなのです。
 
 それはよくあること、「また戻る元のそのいち」というヤツですw。
 
 もう少しキレイな言い方で言うなら、チャットGPTは魂の入ってない文書を見分ける技術ということになるということです。
 そういうことに使われるのが当面ではないか、そんな技術利用になってゆくのではないか。
 すなわち、偽者とホンモノを見分けることが自動でできるテクノロジーということになります。
 
 そのホンモノというのは我々人間のする判断や人間の感受性です。
 チャットGPTには作れない文書を探すためチャットGPTの文書生成が使われるのです。
 
 
 せいぜい私たちはAIに「偽者の人間」と見られないようにしないといけません。
 そういう気構えは必要となるでしょうw。
 そんな「偽者の人間」のような連中ばかりが既成マスコミにはいますが(笑)。
 
 鏡を見たとき、本当の人間と自分が思えなくなる、そんな人が出てくるような気もしてなりません。
 全員が狂ってる場所で、ひとりでまともなことを言い続ける、そんな気概がますます必要になってくるわけです。
 
 「カッコーの巣の上で」
 
 まあ、それも今の人々次第には違いないかも知れません。
 チャットGPTによる表現をどう受け止めるようになってゆくか、その時の人間世界次第ということは言えるからです。
 つまり狂い始めてしまったこの世界次第ということです。
 
 
おそまつ
 
 
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