ESG投資のデマゴギー

ESG投資はパフォーマンスを低下させている

 ESG投資というものがあります。
 ESGに積極的に取り組んでいる企業郡をバスケットにして投資するというものです。
 
 そのESG投資はこのところリターンを落とし、投資パフォーマンスを落としています。
 
 この結果自体がESGへの疑いを惹起することになっています。
 「人類のためになる」というESGなのですから、「なのになぜパフォーマンスが悪くなるのか。」と
 
 実は当たり前の話なのです。
 企業が事業活動の利益よりもESGを優先させるということには本質的な欺瞞があります。
 株価とはまるで関係ありません。投資とはまるで関係がない話なのです。
 
 むしろ世間の風潮に右へ倣え、そんな会社には業績に不安がつきまといます。
 
 本業を忘れた企業は常に危ないものだからです。
 企業が社会的責任なんてのを大真面目に言い出したら要注意ということです。それは昔からよく言われていたこと。




 

 グローバリストの意向を受け、無責任になった政府がまるで流行のようにしてヒューマンリソースだのLGBTだの環境だのソーシャルだの、そんなことを旗振りしていますが、肝心の企業活動の本懐を忘れさせるような話です。
 そんなドグマにあぐらをかいていれば企業はやがて活力を失う。
 

人間として美徳をいかに追求すべきか

 これは例えれば個人のレベルのこととして考えても同じことです。
 何か功徳があるとか、良いことを追求するという宗教にハマり、人類愛だと善行だとか、良いことばかりを言うようになってしまう、そんな人がいます。
 
 そうするとその人の利己心いうのが見えてこなくなりますから他人からは疑いしか持たれません。いったい何のために動いているのかということになる。
 「信用ならない人」ということになってしまいます。
 
 要はそうした功徳や道徳心というのはその人の心の問題、個人、人間として追求すべきだということです。
 宗教的な教義に従うだけでは決して叶うものではないのです。
 そういうことを誰でも分かっていることです。誰でもインチキ宗教の区別はつく。
 
 宗教的な教えとして道徳や美徳に従うということは危ういものがあるのです。
 同じ宗教を信じる者同士で共有してしまうのですから、個人としての追及は忘れ去られます。
 すなわち、「教義に溺れてしまう。」ということになるわけです。
 
 それなら、そこには自分の判断、自己というものはありません。いわば洗脳状態でしかありません。
 「自分を放棄する」ということには自分がない。そうするとその目的、その功徳すら疑わしいということになります。自分がないのでは死んいるのと同じことだからです。
 
 もし自分をなくすこと、それが無私や滅私ということであればそれは「悟り」ということになります。
 それは功徳や道徳心の一切から解脱した悟りでしかありません。
 するとそこには善行さえない。
 善悪の彼岸です。善悪すらないのです。
 
 この矛盾を理解すべきでしょう。

 

グローバリストが主導するESG投資の危うさ

 だいたい、そんなESGなんてお題目をグローバリストに誉められたからってどうなるものでもありません。いったい彼らは何様だというのでしょうか。
 ESGには企業の成長の保障など何もないのです。
 
 例えば、投資家にとってはブラックロックを筆頭にグローバリストの手先のような機関がいて、そんな連中がESG株を買ってくれるんだろう、だから先回りして買えばよい、そんなことも考え方としてはありますが、彼らだって利益を出してくるわけです。
 
 しかもESG投資の旗振りをやっている張本人が彼らなわけですから、まさにインサイダーそのものです。
 彼らは都合よくルールを変えてくる。先回りをしてくる。
 
 しかもそのルールとするお題目すらいい加減なものなのです。
 さしずめ今なら「ウク支援でロシア叩きに加わっているかどうか、」これもESG投資の指針に入れているはずです。
 
 「冬は寒いからタートルネックにせよ」、これがESGというわけです(笑)。
 なぜ欧州は寒くて凍えているのか、それはロシアからガスを買わないからです。それでロシアを弱体化できると西側が経済制裁をしているからです。
 
 ユニクロがそんなことに乗ろうとしました。
 しかし、ウクで敗戦濃厚になったものだから今度は中国に戦争を仕掛けろと、今更ながらにウィグルの話をまた西側から持ち出され、ハシゴを外されてしまった形になりました。
 連中のやり方に乗っても利益など得られない。アテになどならないということです。
 もちろんウィグルでどんな強制労働があるか、どんな民族虐殺が行われているかは未だに不明のままです。それがあることさえ分かりません。
 

ESG投資に疑問が持たれた始めている

 多くの投資家、機関投資家がこのESG投資の欺瞞に気が付いて去っています。
 特にウク戦争以降はその動きは水面下では顕著です。
 「人のカネを預かっているんだ、踊らされるのもたいがいにしよう。」というわけです。
 ESG投資を中心とした枠組みのひとつであるGFANZから撤退を表明した年金運営団体もあります。これはイングランド銀行の前総裁が立ち上げたものでした。
 
 「グラスゴー金融連盟」(笑)。そのイギリスはウクに劣化ウラン弾を供与し、人の住めない場所にすることも厭わないのです。
 
 ハシゴを外されないように注意したいものです。勝手なことを勝手に叫んで世の中をひとつの方向に向かせようとしている連中がいますが、それはまったく狂気としか言いようがありません。
 
 結局はカネの運用の問題だったはずなのです。ならば投資本来の原則が大事ということ。
 成長する企業に投資するのです。サスティナブルなんてスローガンには何の意味もありません。
 地球のことなど企業活動には関係がない。
 劣化ウラン弾をウクへ供与しながら、2023年のヒロシマサミットでは「核の威嚇を許さない」とやりました。いったい核の威嚇は誰がしているのか。その白々しさは明白なのです。
 
 ともかく、こうした矛盾が露呈してきたために「ESG指数のパフォーマンスが悪い」という話が台頭してしまっています。
 それはSG投資を担いで人を振り回そうとする連中にとっては困る。
 
 そこで、「ESGのスコアが改善された銘柄を見れば株価は上昇している。」こんな話が持ち出されたのです。
 
 ESGのスコアをどうつけるか、その恣意性についてはともかく、それにしてもこの話はどうでしょうかw。
 
 「ESG投資のパフォーマンスは落ちているかも知れない。しかしESGのスコアが改善された銘柄を個別に取り上げてみればだいたい株価は上昇しているではないか」、と。それが新たな理屈でした。
 
 だからESGは企業の活動の目標にすべきことには変わりないではないか。普遍の価値なのだ、と。
 
 こんなペテンがまかり通っているのです。このおかしさは子供でも分かる話ではないでしょうか。
 もし、分からないという人がいたら心配した方がいいでしょう。こんな簡単なトリックに惑わされてしまうのですから。

ESGの投資パフォーマンスを偽装するトリックとは

 結論から言えば、「ESGのスコアが改善されている」ということと、株価上昇という結果、その双方に因果性を結びつけることはできないということです。
 
 ESGのスコアが改善されたということは、そうだとすれば何かしらESGへの取り組みをしたということでしょう。それは分かります。
 しかし、それがそのまま利益率の向上、会社の評価、先への期待、株価上昇につながったとなぜ言えるのでしょうか(笑)。
 
 実はその企業は収益性を高め成長しただけのことではないのか。
 それでちょっと余裕が出てきたもんだからESGなんかも申し訳程度にやってみただけかも知れません。それでたまたまESGのスコアが改善されたというだけかも知れないのです。
 
 つまり合理的な説明にまるでなっていないのです。

 なぜ株価上昇がESGのスコア向上と「だけ」結び付くなどということが言えるのか。
 すなわちペテンです。
 こんな話に騙されているとしたらファンド運用は受託者責任すら果たせているとは言えません。
 
 つまり地球環境こそが人類が追求すべき至上の価値であり、利益追求に優先するなどという妄言を押し通そうとするための詭弁だということです。そしてその地球環境の危機さえもよく議論されてもいない。
 
 そうして金融資本を誘導し、主導的地位につくことで彼らはチカラを振り回そうとしているのです。
 それは新興宗教のようなペテン、トリックもはなはだしい。
 
 このESG投資を主導しているのはグローバリストたち。
 彼らは政府の存在を超越しようとしています。すなわち、人類の未来は政府や民主主義による代議員が決めることではないのだ、と。
 彼らは人類にとって神のような立場になろうとしているのです。
 
 まさかに狂気に陥った、核による滅亡すら厭わない連中です。
 思い通りにならない人々を抹殺し、異なった意見を検閲・圧殺し、言うことを聞かないロシアという独立国家を弱体化させようと躍起になっている連中です。
 
 これが資本のチカラ、金融資本のチカラを恣意的に利用することで企図されているのです。
 
 ESG投資なるものはそんなペテン師グループの作ったお粗末な仕掛けに過ぎません。
 




ESG投資に同調すれば人類の破滅に加担することにならないか

 ではESG投資に賛同し、株主として同調するとすればどういうことになるのでしょうか。
 
 ロシアを敵視し、ロシア憎しのあまり欧州での核戦争すら容認し、市民を困窮させる結果となったとしても黙らせる。
 LGBTなどと性的倒錯者として集団化し政治勢力化する。
 堕胎権などと生命を自由に奪うことを公然と新たな権利などとする傲慢さ。
 食糧危機を煽りコオロギを人に食わせようとする、遺伝子組み換えを好き放題にやって責任も取ることもなしにウィルスもどきを製造し、世界中にばら撒く。
 人類を奴隷化し、アフリカなどの途上国からは永続的に搾取をしようとし続ける。
 
 一部のエリートの言うことに人々が従わせられる全体主義、そんな独裁主義は理想郷なのでしょうか。
 ESG投資に賛同することはそうした彼らの活動に加担するということになります。
 
 そして株価や収益性に関わりなく、投資を通じて年金や自分の資産のリターンを犠牲にしてもその活動に加担されられるということになります。
 
 年金を運用している連中が「受託者責任」を拡大解釈して、「人類の未来のためになる投資先に投資する」などと勝手にやっているわけです。リターンなど関係ないというわけです。
 そうして、こうしたことを主導できるということが権力になっています。
 対して年金資産を預け入れているものだから市民は抗議できません。自分は損をしたくないからと、その方向性に疑義さえできない。
 
 これが「ステルス・ソーシャリズム」なのです。
 
 今では「ロシアを弱体化されることが人類の未来のためになる」、そういうことになっているのでしょう。しかしその論理たるや意味不明です。全くその理由については説明がありません。
 
 アメリカが侵略したイラクに大量破壊兵器はなかったのです。米国による大量虐殺、その戦争犯罪は裁かれもしていません。
 
 要は世界を支配しようとする意図、新帝国主義でしかないのです。そしてそれは失敗つつあるのです。
 

政府や企業が社会の評価に頼るのは誤りである

 そもそも社会からの評価と本質は別なものです。
 「あの人はいい人だ。」などと巷でもよく言われるものです。
 我々は、会社や社会、あるいは学校で、人間は人への評価に自分の印象を持ち込もうとすることがあります。
 
 しかしたいていそれは裏切られる。
 いい人だから良いことをしてくれるわけではありません。
 彼らは人当たりがよくて嫌なところがないかも知れません、多少の面倒は見てくれるかも知れません。しかし原則への忠実、厳しさというものはない。
 だから頼りにはならないのです。
 
 逆にルールや原則、道徳的に厳しければ人々からは「杓子行儀」などと言われてしまうものです。
 厳しい人を人は「いい人」などとは評価しません。
 
 勝手にルールや原則を曲げてしまうような人間は信用がおけないものですが、人は自分に優しい人を「好ましい」と思ってしまうものです。「いい人」というのはそうしたものです。
 だからそんな人は友人には甘かったりします。いい人なのです。
 
 しかし「いい人だから」リーダーとして相応しいとは限りません。大勢の人間をたばね、全体を最善の方向に動かすことはできません。
 むしろ、それはたいていは「弱さ」の言い訳になっていることが多いものなのです。
 
 言ってみればESG投資とはそうしたものです。
 
 ESG投資がまかり通れば、成長する会社、競争力のある会社、伸びる会社がないがしろにされるようになります。
 どうしようもない無能な取締役たちが居座るための言い訳にする。
 世界権力を気取っているダボス会議、グローバリストたちの方向におもねるだけで、その椅子にしがみつけるというならそんな会社に先などないのに。
 
 そもそも、「サスティナブル」なんてことを目標としていたら企業活動は成り立たないのです。そんな会社は論理として成り立ちません。起業というは常にいちかばちかで立ち上がるものです。
 「サスティナブル」なんて話は本末転倒なのです。
 資本主義は成長しなくてはいけません。そして栄枯盛衰というのは必ずあります。
 資本主義は優勝劣敗の原則なのです。
 公共の利益ためにこの活動を規制するというのであればそれは政府の役割でしかないのです。
 
 ところが、今にしてもその政府は西側諸国では独裁化し、政府の役割は変質してしまっています。
 グローバリストの旗振りするESGを金科玉条のこととして議論もなしに進められてきたのです。 この傾向に従ったものだから政策は支離滅裂になってゆきます。
 政府は本来の役割を果たさず、余計なことばかりしようとしています。グローバリストは政府の役割を無視しているからです。彼らは政府を超越しているのです。
 だから、まるで今の西側各国政府のやっていることは私的企業のようなのです。
 
 こうした風潮が蔓延すれば弱い企業が「いい人」になって体裁を取り繕うとするようになります。
 グローバリストが喧伝した社会の評価、キャンペーンやプロパンガンダで会社が評価されるのであれば資本主義的な競争で負けたとしても中の取締役たちは生き残れるのですから。
 
 本当に功績を残した人物、信頼できる人物というのは人からの評価など気にしないものです。
 それはわが道を行く人々。
 通常、そんな人は周囲からは煙たがられるものです。「いい人」などという評価はないものです。
 
 「独立した国」そう考えれば同じことです。社会的評価などアテにしていたら国家の独立など危うい。
 

カネはグローバリストにとって道具に過ぎない

 やるべきこと、つまり「目標に邁進し成功し続ける」、これが宿命の資本主義の世界です。
 そこに競争原理以外をネジ込もうとするのはいったいなぜなのか。それは資本主義を腐らせます。
 それは金融資本を道具とし、世界をリードしようという思惑があるからです。
 
 だからESGは先の見通しの立たない会社や内部から腐敗してしまった会社組織の言い訳に使われやすい。
 グローバリストの主導する人類の課題に貢献しているからと、利益や成長の責任から逃れられる。
 
 こうして、もはやカネさえもグローバリストの道具になり始めています。
 それは言論やジャーナリズム、すなわち情報、SNSが「兵器」となったのと同じことです。
 自分たちの思い通りの価値観を押し付け、人々を動かすために都合よく使うのです。
 
 しかし、資本主義の世界ではカネというものは利益の最大化を目指するという本質があります。
 
 それをないがしろにして、グローバリストの妄言を新興宗教のように信じるなら、弱い企業に投資して資産を失う将来しかありません。
 
 結局、グローバリストたちにとってはカネを得ることは最終の目的ではないのです。
 彼らが主導して世界秩序を作ってゆくということが彼らの目的なのです。
 しかし核に汚染された世界ではカネがいくらあろうと住むことはできません。彼らはそれさえも煽っているのですから、その狂気たるやw。
 
 ESG投資で使われだしたトリックまがいの言い訳、「ESGスコアが向上した企業の株価は上がっている」、こんな子供でも首を傾げてしまうような因果性を無視した理屈を出してきたこと。
 そのことはESG投資がどんなにペテンであるかをおのずから証明してしまっているのです。
 

崩壊し始めたESG、グローバリストたちによる抵抗

 「ESGスコアが向上した企業の株価は上がる傾向がある」、反面、こんな理屈を出してきたことはESG投資が危機に陥っていることを如実に示しています。
 
 すでに米国では2023年、上院と下院で年金の運用元の受託者責任についてESG投資を制限する決議がされています。
 米国では労働者の年金運用についてERISA法という規制がありますが、バイデンはトランプの政策ポリシーをわざわざ覆し、ESG投資についてこれを推進するような姿勢を見せていました。
 それが上下両院で覆されたのです。
 
 もちろんバイデン政権はESG投資に積極的になるべきとの理由については説明していません。
 なぜ年金を運用する受託者たるファンドがESG投資を利益追求よりも優先するようにされたのか、その説明はありません。
 
 実際のところ、常に彼らはこういうやり方をします。
 まるである価値観が所与のもので議論の余地がないものとして押し通そうとするのです。
 
 例えば我が国で言えば「少子化」というのも似たような話です。
 しかし少子化、人口減少の何がいけないのか。
 我が国が高度成長に湧いていた時は我が国は今よりもずっと人口は少なかったのです。
 
 それと同じく、ESGなる価値観が果たして資本主義にとってどう有効なのか、果たして地球環境問題に企業が取り組むべきなのかどうか、それが議論されることはありませんでした。
 ロシアをなぜ弱体化させねばならないのか、その説明にしてもありません。
 なぜいつまでもウク戦争を長引かせ続けるのか、その説明はないのです。

 

 すなわち、ESG投資は資本主義のメカニズムを崩壊させかねないレトリックでしかないということです。
 この欺瞞に気づいた米国ではすでにまき戻しが起きているのです。
 
 これに対し、グローバリストの手先のような金融ファンドであるブラックロックは、受託者ではなく資金の出し手、つまり預け入れた市民が企業の議決に参加できる枠組みを作ろうとしています。
 これはいったいなぜなのか。
 大衆は簡単に洗脳できると、彼らはそう思っているからです。
 それは今の民主主義と同じことです。意識を操作された大衆に投票させるのです。それで大義名分を得る。 すなわち、ブラックロックらはESGというスローガンなら大衆をたやすく洗脳、扇動できると考えているのです。もちろんマスコミを使って。

 

 これは言論やジャーナリズムで起こっていることと同じことが起きているということです。

 西側ジャーナリズムはウクにとって都合の良い情報だけを流し、市民を洗脳してきました。騙し、情報を捏造してきた。
 そうして市民はわけもわからずロシアを悪と考えるようになりました。みなが後先も考えず反ロシアになっていった。
 
 だからエネルギー価格の高騰や食料不足、この困窮を引き起こしたのはNATOと米政権であるにも関わらず、彼らはひたすら耐えるしかありません。寒くてタートルネックを着させられることになったのはロシアのせいなのですから(笑)。
 
 米国は同盟国であるドイツのノードストロームを破壊し、ロシアからドイツへのガス供給を途絶しました。そのドイツの首相は米国に追従し、ことの真相について黙認を続けています。ドイツ首相すらドイツの市民たちを裏切ったのです。

 かつての敗戦国は言うなりになるしかないというわけです。
 それは我が国も同様なのでしょうか。
 
 しかしこんなペテンは長続きはしません。その仕掛け、内容が知れ渡るだけで瓦解します。
 少なくともそう信じるしかない。うまく彼らの扇動に乗せられないようにするしかありません。
 
 それこそ、そうした信念こそ人類にとって必要なことなのではないか。

 

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