「注文住宅」の失敗、中古戸建ての勧め





注文するということを考える

 世の中には「注文住宅」というものがあります。
 相撲の世界では奇手や奇策、立ち合いで変化することを「注文相撲」と言います。注文相撲はあまりカッコのよいものではありません。誉められたものではありません。
 どちらも「注文」という言葉がついていますが、アタシは共通点があるような気がしてなりません。

 今回は「注文相撲」の連想から「注文住宅」には陥穽が多いということをお話をしたいと思います。
 つまり、「注文」ということには少し危なっかしい面があるのではないか、それがアタシの考えです。
 「注文住宅」というものについて少し考えてみたいと思うのです。

 つまり「家を建てること」にしたって同じで、奇策や奇手はよろしくないかも知れないということです。
 家なんて、あまり『注文』なんてすべきでないかも知れない、当たり前の間取り、昔からやられてきたやり方が一番いいのかも知れません。すなわちそれは気に入った中古住宅を探した方がよほど得策ではないのか。
 そんなお話です。

 「注文住宅」という言い方はよく使われる言葉ですが、例えば設計士がついてくれるとか、コンサルタント的な人を交えて相談に乗ってくれるとか、その形態はさまざまです。
 まっさらなところから提案や希望をひとつひとつ聞き取りして吸い上げてまとめてくれる場合もありますし、細かく家族の要望をまとめて提案を積み重ねてくれる場合もあります。
 ともかく色んなパターンがあります。

 それらがみんな「注文住宅」とひとくくりで言われる。
 アタシはそこにまず違和感を感じてしまいます。
 シロウトの注文がそんなに簡単に通せるものでしょうか。どこまで聞いてもらえる「注文」なのでしょうか。この言葉は誤解を生じさせてはいまいか、と。

 たいてい「注文住宅」というのは「一戸建て」に関して言われるものです。
 マンションの場合だと代わりに「なんとかプラン」なんて言い方がされます。

 最近のマンションは各部屋で間取りが違うことも多いものです。
 「隣と同じ間取りは気持ち悪い」という声に対応しているのでしょう。
 完成前に購入できて、間取りを自分で決められるというマンションもあります。

 もちろん、マンション全体のデザインを変えられるわけではないですがw、室内の間取りなど、ちょっとした変更に応じてもらえる場合があります。
 和室から洋室にするとかパーティーションを切るとか。

 こういう場合は「注文した」というよりはいわば「レイアウトの変更」に過ぎません。
 マンション全体というのは変えられないからです。
 そんなことしたら「ガウディ」になっちゃうwww。

閑話休題、マンション



 なお、独断でアタシは申し上げてしまいますがやはり不動産というなら「地べた」を買うのがよろしい。
 マンションというのは一戸建て、一軒家などとはまるで別のシロモノです。まるで居住形態は違うものです。
 同じ不動産と考えない方がいいと思います。

 例えば、将来的にも揺るぎない定期的な収入があって見込め、先の人生にはしっかりした見通しが立ち、ご自身の「顔」や「立場」というのが大事な人というのがいます。
 そのご自分の「顔」や「立場」が次の収入につながるのなら「マンション」という選択かも知れません。
 流行りの「上級国民」みたいなものでしょうかwww。その人の暮らしも「売り」だからです。

 つまりそれは業界や人に食わせてもらっているような人です。実力や能力で世の中を渡っていくような人ではない。だから、それこそ若手のお笑いタレントとか芸人がいくら売れたとしても一戸建てでは許されないものなのです。

 あるいは、計画性があり、間違いなく計画通りに進められるかどうか。そんな人生を生きられるかどうかです。
 もしそうした計画性に従うことが快適に感じる人であれば、マンションという選択はいいかも知れません。
 修繕は時期が決まっていますしそのスケジュールは変えられません。何年後に修繕ということになっていればそのとおりにやる。「まだ使える、大丈夫じゃないか」そんな話にはなりません。敷地の雑草取りすら決められていて、住民有志がそんなことをしようとすれば管理組合が飛んできます。「そんなことをされては困る、誰がやるか誰に委託するかは決まっているのだ」というわけです。
 修繕積立金は自動的に積み立てられてゆきます。
 言い方には違和感があるでしょうがいわばマンションは人任せの住まいなのです。「ホテル住まい」の快適さがあります。

 ともかく、マンションというのは「暮らし」を優先させているわけで、不動産という「資産」とは考えない方がよいものです。
 まあこれはネットでよく議論になっていて、ポジショントークの飛び交う話ではあります。
 「永遠の議論」なんて言われたりする類の話ですから、どちらが正解とは言いにくいものでしょうが(笑)。

 しかし「住居」、「不動産」、「資産」として考えればやはり戸建てです。
 自分で管理し自分で住み、暮らすということです。
 ならば自分で設計できてもいいのではないか、そういうことになります。
 そこに「注文住宅」というキャッチフレーズの入り込む余地があります。

失敗しがちな注文住宅

 そして戸建てには「注文住宅」という選択肢があるわけですが、そのイメージとしては「自由に要望を聞いてもらえる」ということになるはずです。
 建築主にとってはわくわくする言葉かも知れません。

 自分の個性をそのまま住居にしてくれる、住み方、暮らし方を自分たちで決められる。家に合わせるのではなく自分たちに家を合わせられる。
 自分の暮らし方を自由に想定して、「自分の城をいよいよ持つ」なんていう感じでしょうか。

 ところがこれが意外とこれが自由でもないもので、ガッカリしてしまった、なんてのは実によくある話なのですww。
 建築には一般的な常識と乖離している部分もあり希望と現実でスレ違いが起きることも多いものなのです。

 例えば家には様々な規制や制限があります。
 高さ制限や屋根の勾配、まず建築基準法の制限というものがあります。
 建ぺい率という制限もあります。隣地境界にだって色々と規定があります。本来なら、隣家との窓はそれぞれ境界から1メートル、合計2メートルの間隔がないといけない。これは割りと知られてない話。
 まあ、実際には後先、どっちが先に建っていたかということはあるのですが・・・。

 山奥の一軒家ならイザ知らず、そこそこ利便性がある場所なら法規法令を気にしないでは家は作れません。そうなるとその規制や制限ギリギリになってしまう傾向になります。規制の下で精一杯自由にやろうとすればそうなりがちです。
 だからたいていの新築住宅は敷地ギリギリに建てられます。余裕などありません。
 建築基準法に従っていても狭苦しく圧迫感があります。

 しかしそういうのは必ず後になって困ることになります。暮らしの変化に柔軟に対応できない家になってしまいます。ヘタをしたら大きな家具さえ入らなかったりします。
 防災の点でも生活空間として考えても、わずかのスペースを節約しようとしたために身動きが取れない家になってたりします。
 できるだけ広い床面積を稼ぎたい、その気持ちは分からないではないですが、果たしてそこまで敷地ギリギリにする意味がどれだけあったのでしょうか。
 家の周りを回れない家というもの。どうするつもりなのか首を傾げてしまう家もあるものです。

 また、インフラ、電気の線や水道だのの配管、下水処理というのもあります。
 ガスの引き込みにだって制約があります。プロパンにしても設置場所の規定はやはりある。
 インフラとの「接続」という問題がどうしても出てきます。

 そうして日当たりや風通し、土壌、道路への接続などなど、家を建てるには様々な条件があるものなのです。
 そうすると、シロウト的には「注文住宅だっていうのに、では、いったい何を注文できるのか」なんて、ことになってしまいます。

 「一国の主だ」なんて気負っているとロクなことはありません。
 どんなワガママも通用するものでもありません。ましてやそれを注文でやらせようとするなら自然とその限界を知ることになります。だから規制や制限いっぱいいっぱいの家になりがちです。
 注文をしてみても建築する側にすれば無理な注文だったり、まるで見当違いだったりするのです。

 言ってみればこれは「立ち合いを変化する取り組み」と同じことです。「注文相撲」ということです。相撲のカッコになってない。記憶に残る勝負になりません。
 建主はそんな風にハタから見れば「おかしな注文」をしてしまっていることが多いのです。

 「注文」という言葉には「注文することで失敗しがちである」そんな現実があるとアタシは思っています。

 まだロクに味の分からない子供を寿司屋に連れて来て、「サビ抜きで」なんて「注文」するのに職人は苦笑いして応対しているものです。そもそも子供なんて寿司屋に連れて行くものではありません。彼らは黙ってるけどw。
 力士が立ち合いで変化し、「ついてこい」なんて相撲に妙な注文をつけてしまう。それは横綱だったら許されないことです。おかしなことになります。すなわち「見当違いの注文相撲である」という評価になります。

 注文住宅には数々の失敗のドラマがあります。
 それはあまりによく聞くお話。ひとつひとつ挙げればキリがないぐらいです。

 おしゃれな白木の板張りをリビングに希望した。
 椅子を買って置いたらその日からもう深い傷がついてしまった。白木の床なんて柔らかいモノのです。
 その上、冬になると寒い。底冷えがします(笑)。
 それではと、カーペットを置いたら滑りまくるwww。子供がリビングでスケートをやり始めるw。足音がやたらと響く。

 キッチンを陽の当たる明るい場所にと希望したのはいいけど、やたらと食品が臭うようになった。
 夏はモノが食品がすぐに痛む。
 糠漬けは冷蔵庫に入れとかないととたんに酸っぱくなってしまったり。

 風呂をユニットにしてこれでカビとは無縁と思っていたら換気扇を回さないとやはりカビる。
 窓がないから結露がいつまでも残っている。
 見れば換気扇ボタンの横にはタイマーすら最初からついています。ずっと長時間点けとけってこと?なんだか電気代がムダに感じてしまいます。
 窓があればそんなことはありませんでした。

 電気コンセントの場所がどうにも不便に感じる。
 あらかじめ設置する家具のレイアウトなんて考えて家を注文する人はいません。
 置いた家具や机との間に距離ができてしまう。タコ足配線になる。延長コードがやたらと必要になる。注文住宅なのにと、なんだか不満です。
 特に家具は難物です。そりゃあ実際に使ってみなきゃ分かりません。

 無線wifiが各部屋に届かない。
 構造上、厚い壁で遮られることになるなんて予想もつかなかったのです。だから電波が届かない。おかげで中継器をわざわざ買わないといけなくなった。

 洗濯モノをわざわざ二階に干しにいくのが大変。
 キッチンはともかく、洗濯干しの導線なんて考えもしなかった。

 などなど。

 笑い話ならまだいいのですがしかしこれが現実(笑)。

 こういう無理筋の注文は、本来なら設計士やコンサルする側が受け止め、我慢してもらうよう説得するのが筋です。
 注文がおかしかったら根気よく説得するというのが正しいやり方です。

 しかしそれはとても大変な仕事になります。
 客が気を悪くして逃げてしまうんじゃないかと不安にもなる。
 だから言うなりにするしかありません。あちらを立てればこちらが立たず、と、制約との調整が繰り返される。
 図面の引き直しなんてしょっちゅうです。
 建主の家族に年寄りがいてなかなか言う事を聞いくれなかったりすることだってあります。家族で希望が対立すればその調整もまた難しい。

 しかも、たいていの「注文主」というのは強硬なものです。思い込みが強くなっていることがとても多い。
 なにしろ「注文建築」「注文住宅」なのですから(笑)。 彼らは注文できる分、高いカネを払っているのです。

 結局、そのまま言う事を聞くしかないという場合もあります。
 そうして現実と理想、色んな制限と要望がかみ合わず、結果として使い勝手の悪いモノが出来てしまう。
 自己責任。それが注文住宅ですww。

 まあ失敗があっても納得し、最終的には鷹揚に構えて付き合ってゆくしかないわけですがw。

 注文住宅の「注文」というのも、やはり「注文相撲」と同じものなのです、ちょっとズレたことになってしまうものなのです。本来の王道から外れてしまうのです。

 注文を聞いてあげる側が、もっと「ここの部分でお客様のご要望をお聞きします」なんてハッキリさせた方がいいのでしょうが、そうするとそれは注文でなくて「プラン」のひとつになってしまいます。
 建築主からすれば自由度がない感じがしてしまう。
 それに、それだとあまり銭(ゼニ)が取れませんwww(笑)。

中古戸建ての勧め

 結局、お勧めするとしたら、「中古住宅を探して買う」ということです。色々いい物件を見てその中から選べばいいのです。
 だいたい家など新築じゃない方がいいぐらいです。
 建売りの新築にしたって、結局は見えない今風の顧客を意識して作っているのですからズレてしまうところがあるかも知れません。その時の流行しか見てないんだから。
 中古住宅なら昔からの知恵、以前に住んでいた住人に委ねるようなものです。すでにこなれているのです。

 結局、やはり何でも「注文」よりは「お任せ」がいいということなのではないか。
 飲食店にしたってお任せのフルコース、海鮮コース、「なんとかづくし」の方がいい。そこには安心感があります。
 シロウトの我々がいくら考えても見落としがあるのです。

 それなら前の人が住んで暮らしていたものを受け継いで、直して大事に住んだ方がずっといい。

 海外、欧州なんかでは築150年なんて家を普通に若い夫婦が買って直しながら住んだりします。
 なにも築150年とまでは言いませんが、古い家は住人の使い勝手に合わせてきたのです。それだけ歳月に耐えた家なら安心というものです。

 それに、今の日本の住宅市場は歪んでいるところがあります。これが一番の問題です。
 価値のあるものがその本来の価値を見出されず、悪いものが出回るという連鎖、悪循環を起こしています。
 バブル崩壊後、金融システムが歪んでしまったのですから無理もありません。
 不良債権の始末はまだ終わってはおらず、マンションが地域を押しのけて建ち眺望を売りにすればすぐ隣にまたマンションができてせっかくの眺望など消えてしまうのはよくあること。

 だいたい、経済的な議論はさておいても、住宅の評価基準が奇妙な状態のまま放置されているということがあります。
 土地神話の長く続いた我が国ですが、土地の様々な特性が考えられて評価されることは意外とありません。

 浸水被害に遇ったことがない土地、安全な立地、地盤が確かだ、活断層が近くにないとか、そういうものが評価されることはありません。
 地すべり被害を受けた熱海のあの場所は決して割安ではなかったそうですw。

 あるいは学校が近い、スーパーが近い、静かだ、などなど。生活の利便性もあります。
 こうしたことは「公示地価」では捉えられることはありません。

 その利便性や立地特性が不動産屋のチラシの宣伝文句にはなっても、不動産価格に反映されることはほとんどありません。
 なぜか漫然と公示地価ベースで値段と商談が進められてゆきます。
 不動産屋側としたら売れればいいのです。
 彼らは手数料収入があればいいと思ってるだけなので、適切な値段になるようフェアバリューになるよう頑張ったりはしないのです。

 本来なら不動産取引だって相対取引です。
 特別な環境や便利と思うこと、それぞれ人には目の付け所というのはあります。売り手と買い手でマッチングするというだけです。だから公示地価とは関係なく値段がついてもいいはずなのですが、そういうことはほとんどありません。
 オークションのような土地取引というのは民間の市場ではほとんどない。あるのは「競売物件」だけです。

 こういう面からも逆に中古住宅は狙い目なのです。
 それは、買い手からすれば探せば思わぬよい物件が手に入るということです。買い手にとっての価値が価格に反映されていないのですからお得なのです。まずはその分を引いてこちらの言い値をぶつければよいのですから。

 住宅市場は不思議と新築住宅が幅を利かせています。
 不動産屋が中古住宅を安く買い叩き、わざわざリフォームし、あるいは取り壊して新築にしてバカ高い値段で売っています。
 あまりお勧めできるものではありません。
 お得なところがありませんし、新築ですからシックハウスなんてことも起きます。

 だいたい、ワクチンの副作用ではありませんがw、それから何年も先、どんなトラブルに見舞われるかなんて誰にも分かったものではないのです。

 わざわざ業者が取り壊すのは、早くそしてなるべく高く売るためのいわば「付加価値の演出」ですから、中味は中古よりむしろ貧弱な材料になっている場合が多いものです。その上、新築であれば固定資産税は高くなります。建物の分が高くなります。リフォームならそんなことはありません。

 家を手に入れるなら中古住宅がいい。
 都市部だって数百万で小さな家が本当は買える。

 そういう現実を隠し、流動性をわざわざなくしているのが我が国の不動産市場です。

 考えてみれば昔からそんな教訓がありました。
 

畳と女房は古いほうがいい。

 おそまつ

 ・・・いや「ガウディ」という建築家は、冗談でもなくてマンションも設計しています。

 割と有名なお話です。
 そのガウディの作ったマンションですが、さぞかし歴史的建築物だというので高いと思ったら意外と安かったものです。アタシは現地で聞いたことがあります。
 どうみても歪んだアパートにしか見えませんでした。通りの目の前の大きなイチョウみたいな街路樹の方が威厳があったほどです。

 そして使い勝手が悪いなんて話も聞きました。アタシは驚いた記憶があります。

 ガウディ、同じGで始まるなら H・R・ギーガーのデザインの方が有名でしょうか。いわずと知れた映画「エイリアン」のデザインを担当した人です。

 なんかアタシは二人には共通する匂いを感じないでもない。

 客はそっちのけで「注文」に熱中してしまう人たちなのですw。

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