「タトゥーは主張」という勘違い

 

 自分はサッカーに人生を賭けているとかでプレミアの移民のサッカー選手はイレズミを入れる。ブゥードゥーの呪いのまじないのようだが連中は必死だ。そこまでやっておけばそうそうクビにはならないという、脅迫もどきのやり方と言ってもいい。

 挙句にはカノカレの名前を永遠に彫りたいだの、別れたカノの名前が残ってて困っただの冗談のようなリアルな喜劇が起きる。

 暴力団の構成員はお互いに汚れ穢れとの確認をし合う。

 そりゃ色々と後戻りできないように自分を追い込んでまでやらねばできない奴もいることだろう。もともと信用されないような奴なら余計にイレズミは仲間内で必要になる。

 ファッションのフリをしても主張や裏が見えてしまう。
 それぞれ言いたいこと、理由はあるんだろうが、ともかくそれは人様には関係のないことだ。
 だから、公共の場、銭湯でもスポクラでも許されない。

 ビーチですら知らないヤツからそんなメッセージを聞かせられる義理はない。

 社会的にはタツーの露出は許されない。

 W杯でも長袖にしろと指導されたり、その露出には厳しい目が向けられている。

 


 それがわからない連中がいる。

 そして権利を認めろと騒ぐ。

 勘違いした理屈。

 果てはゲイだレズだオカマだと騒ぐ。それも同じ。同根だ。

 一方でロリコンは無視される。スカトロ、共産党の変態議員はひっそりとなかったように除名される。

 物事はそんなに簡単ではない。人間の存在証明というのはそんなものではないのだ。

 挙句に同類でも掴まえたいというのか、わざわざ若い奴を標的にしてタツーを彫らせようとするのがいる。

 お前らはオカマでも掘ってろというものだ。自分の生きている無様な境遇に若いヤツラを引きずりこむな。

 タトゥーがスポクラお断りなんてものは正当中の正当なこと。

 スーパー銭湯、温泉がお断りするのも当然だ。本質のわからない奴らが騒ぐが、所詮は自分が入れたイレズミを正当化させたいだけの愚かな主張、ポジショントークでしかない。

 

 一度、同僚や部下をサウナやスポクラに誘ったりしてみればいい。来ないのがいるが、アウト。

 その意味で社員旅行は今でも使えるものだ。

 いらない奴を弾いてしまうのに今では陰口や裏工作さえ必要さえない。昔はそんな馬鹿をやるのは限られていたが、今は馬鹿のシキイが低くなっている。そうやってクビなどいつでも簡単に切れる。

 


 イレズミ、タトゥー、刺青なんちゅうものはとにかくアウト。

 なぜいけないか。

 それは「主張」だから。タトゥーは「メッセージ」だから。

 政治的メッセージ、自分の主張をそこらじゅうでやられたらたまったもんではない。

 「駅前でデモをするなら許可を取れ」というのはまさにそういう理由だ。

 

 人間、誰しも裸でなく服を着て生きている。

 そのファッションに主張があるのはまだしも、タトゥーなどでそいつの主張を一方的に見せられるような理由など他の人間にはないということだ。トランプの嫁の服にいちいち反応してるのなら、タツーに反応しないのはおかしな話だ。

 せいぜい、その受け入れの程度が欧米での街中の光景やサッカーのプレーヤーに出ているという差はあるだけ。基本は自分の主張は隠しておけよ、そうそう見せてくれるなということにはまるで変わりはない。

 どの程度まではいいのか、その差はあれ、基本的には制限されるのが当然なのだ。

 要するに「お前のくだらないメッセージを見せられる方はたまったもんじゃないんだよ」、ってことだ。タトゥーは隠しとけ、ってことだけ。

 まあ、逆に言えば、そういう主張があるヤツラってのはまがいなくクズなんだけれども。

 

 トラックに電飾の宣伝つけて何の用もないのに公道を行き来していたりしているのがいる。宣伝だという。ジャニーズだという。

 こういうのがほどほどならまだ許されているが、わざわざ渋滞を引き起こしてと批判されるほどになれば規制される。宣伝にしたって過剰になれば規制せざるを得ない。

 逆に、クソメディアは「竹島は日本の領土」とか「従軍慰安婦は金銭を得ようとする韓国のねつ造」などという正当な主張をたとえCMにしても流させることは決してない。

 理由は「政治的主張だから」だそうだ。(笑)

 我々がさんざんと見させられている韓国の連中の政治的主張は一方的で偏った間違ったものなのに。・・・







 どの国でも社会的に終わるタトゥー。どの国でもそれがわからん奴はいる。

 それがレッテルどころか、「烙印」になるとわからないか?

 わからないからやる。それだけで充分に区別される理由となる。

 自分はその程度のオツムであると世間に晒しているようなものだ。

 この国でもやってしまったら残念。せいぜい隠花植物としてコソコソ生きてゆくしかない。

 

 海外ポルノサイトなんかでも女優のタトゥーなんていつも必死に隠されて撮影するらしい。

 カメラマンも大変だろう。汚いもの、萎えるもの、映ってはいけないものがあると商品にならん。ダメなものとして扱われる。

 全身タツウー、それこそどうしようもないぐらい隠せない落書きとなるともう別格。

 しょうがねえなとビッチやスラットのコーナーに。汚物を好んだりする特殊な嗜好もあるだろうと自動的にそちらへ分類される。物好きはいるということか。

 女優ご本人もその意味はわかってんだろう。値打ちは低くなりギャラも安くなる。(笑)

 そんな風に、ちょっとアレな業界でさえダメとされているもの。


そんな現実を知りながらまことしやかに主張するのがいる。

 いわく「タツーは海外では普通のファッションだ」とか文化だとか。

 ああいう連中はわかっていて、なにかの罠に日本の若者をひっかけ陥れようとしているのだろう。

 それとも自分の取り返しのつかない失敗を弁護でもしてもらおうと工作でもしているのか。

 

 実は米軍ですら「やるな」と言っている。ww

 「タトゥーがあって悩んでいるなら、今後のキャリアのため相談しろ」と、

 キャンペーンさえされている。(笑)

 もちろん苦労はするだろうが取れる。

 


 それからすると、茶髪も似たようなもの。(笑)
 哀れ。アイデンティティを失った人間はどうしたってそんな特徴的なものがある。正しく生きれない性分だと自ら暴露してしまうようなものだ。

 世間は冷たく厳しい。

 決然と否定されるでもなく拒否されるわけでもない。どこかしら生温かく遠巻きにして冷たい視線を投げかけるだけ。はっきりとは言わないまでも慇懃に否定される。それが社会というものだ。世の中は甘くない。誰かが脱落すれば取り分は増えるのだ。

 

 逆に言えば、社会はルールや規則、規律やマナーをはっきりとさせないものだ。

 細かくしてなにからなにまで決めたりはしない。よく調べてもわからなかったりする部分が残る。規則が細かく設定されていないというのは、人間というものが矛盾多き存在だからというだけではない。

 分からない連中をちゃんとフィルタにかけられるようにしておく自動的な作用であると言える。そういう見えないものが秩序というものを形成している。

 その社会の正当な構成員であるかどうかを社会は厳しく選別しようとする。それが秩序ある社会であればなおさらだ。

 だからモラルやエチケットなどというものさえ持ち出される。

 

 そして道から外れた人間に他人は忠告してやることもない。そんな親切は誰もしないしガッコでさえ教えてくれないというわけだ。

 どんな風に生きるか、どうしたら楽しいかなんて誰も教えてはくれない。

 タトゥー? したいならすればぁ?ww そんな感じだろう。
 馬鹿が馬鹿やって損しよう潰れようが知ったことではない。脱落した者は助ける義理などない。そういうものだ。 自分で無様を晒しているだけなのに本人は気付かない。どこまでも孤独でどこまでもむなしいだけ。

 

 吊り目でエラの張った連中が「俺を見てくれ」とばかりにあちこちで醜態を晒すのが目立つ。ツイッターのバイトテロ、観光地での落書き、反日破壊活動、頭がおかしいとしか言えない突飛な実験、やってみた、などなど。

 永遠の孤独、愚か者の煉獄に落ちた者の末路だ。

 絶望的なつまはじき。だから余計に理由がわからず放置されることに耐えられない。その理由を誰も教えてくれない。

 

 だから規則やルールに抜け道があると主張し、裏技などと見つけたつもりで、シレっと「これはやっていいはずだ」なんて主張する連中がいる。

 ああいうのが信用ならないのはまさに社会から脱落した連中だからだ。

 民主党、立件民主党、「おざーさん」と玉元と愉快な仲間たち党(?)、なんだかわけがわからん。

 日本共産党とか。ああいうのがそういうことをやっている。

 そんなのに騙される馬鹿は輪をかけて救いがないというものだ。

 

 もののココロ、真髄というものに触れることさえできないのなら仕方がない。本質が見えないまま過ごすならスッからかんの空虚な時間でしかない。そんな人生は無意味だ。

 誰も理解できない者を助けたりはしないのだ。

 

 社会が透明性が高くなったとしても、こういうことまでは救ってもらえない。自分の醜悪さを質せるものは自分だけ。

 結局、「ならぬものはならぬ。」ということ。

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