LGBTは生物多様性とは違う

 LGBTはホロコーストへ続く道だ。
 アホの朝日新聞が「軍靴の足跡」とか馬鹿なことを言うが、そんなレベルではない。
 LGBTにぼやっとしていたらどうなるか。
・・・
 

 本来、生物多様性の保護とは、資源保護ということと同じ脈絡でしかない。

 その脈絡で「生物の多様性を保護すべき」ということが理解されねばならない。

 
 なぜ人間は「絶滅危惧種」を心配しなければならないのか。
 なぜ水産資源や鉱物資源のように、生態系のうち食料にも何もならないものさえ絶滅することを憂慮しなければならないのか。


 それは、我々はまだこの地球上の「生態系」についてろくろく理解もしておらず、どんな影響が相互に与え合っているのか確定的なことはわからないから、だ。
 よくわかってないまま事態が変化し続けることを放置することは危険だ。科学にとって予測もできず対応もできないということは結果に責任が持てない。
 だから「現状を維持するよう努めよう」というだけ。
 


 
 慈愛でも、投資バランスでも、進化でもない。神の子イエスでもなく、LGBTですらない。
 
 
 近年、驚くべき速度でこうした言論が劣化し、濫用されているか。
 こういう濫用もまた、非常に危険なことだと思う。
 
 

「生物多様性」というキャンペーンの様々なプロパガンダ化。利用のされ方。
 
 
 「ポジジョントーク」というのがあって、「生物多様性」にも色んな敷衍が試みられる。


 そらすべてがコジツケで我田引水、わがことに議論をひっぱりたいだけの強引な誘導でしかない。
 
 いわく、
 1. 「卵をひとつのカゴに持ってはいけない」というファイナンス理論への誘導。
 2. 「適応できないものが絶滅し、適応して進化する」というダーウィニズムへの誘導。


 3. 「人間は偉いのだというキリスト教的価値」の傲慢さ。
 4. 「LGBTと混同させる」政治誘導。
 
 
 
 上記。
 まず、1.「卵をひとつのカゴに持ってはいけない」
 これはポートフォリオのつもりだろうがわかってない。
 れっきとしたアナリストがこれを言うのだからゾッとする。
 「ポートフォリオ」とは、「経済環境の変化に対してリスクを分散し、最強の布陣で対応できるようにその配分割合を変化させて対応しようとすること。」である。
 互いに打ち消しあうようなものに分散投資しても意味がない。それなら「両建て」と変わらない。両建てのままならリターンはない。
 同じセクターで投資をしても意味はないのはもちろんのこと、本来株だけというのもおかしいということになっていた。要するに「組み合わせ」ではないのだ。
 ただ資産は限られているのでそれこそ不動産、金、株式と分散投資できる人も限られている。だから近年はポートフォリオというと名称ばかりで銘柄分散とスリ替えられるようになった。
 それなら、ROE重視、利回り重視、EPS重視と、それぞれの観点から分散させたほうがいいという主張。それならずっと理屈にかなう話だ。
 ところがこれが、まるで「色んな銘柄をとにかく買いましょう」という話になる。「とにかく他も買っておきましょう」とやる。だから株屋の宣伝じゃないかと疑われてしまうのだ。
 


 2.「環境に適応できないものが絶滅する」という定理は正しいが、ならば現在の環境変化は不可逆なのだから、これに対応できない絶滅危惧種が出たとして我々はこれに配慮すべきだろうかということになってしまう。
 絶滅の危機に瀕している動物は適応できない自業自得なのだ。救う値打ちがあるだろうかということになる。天然痘ウィルスは絶滅しサンプルしか残っていない。
 ところが、「だから環境を変えてはならない」とはなかなかならない。ただ、その「種を保存せよ」という方向を放置する。
 こういう混同を強調したままにすることは論理としては実に勝手なものなのである。
 単にダーウィニズムへの拘泥しかない。
 それならむしろ、現在の新しい種とさえ言えるダウン症、様々な奇形、アルビノこそ新たに生まれた種として保護すべきではないか。
 「治療」と称して、これらに対応していながら多様性を認めることは矛盾している。治療は種の環境適用を阻害する罪である。要するに特定学者の「お仕事」のための屁理屈にすぎないのだ。
 
 
 3.「人間は地上の王である」。人類はそのように振舞ってきたが、その責任を果たしてきたか。
 責任を果たそうとしないからそのルサンチマンを求めるようにして絶滅危惧種や飢餓を気にかけるポーズを選好する。もはやクリスチャンは十字軍すら肯定できない。
 偽善である。
 この惑星にとっては人間など屁でもない。
 どれだけの核兵器を爆発させてもこの惑星を破壊することなどできない。安心していい。
 我々自身が選択している事実、その動機を隠してはいけない。人道主義などキリスト教の残虐さの歴史の裏返しでしかない。
 贖罪は自己否定からは生まれない。意志を持て。
 
 4.「LBGTと混同させる」
 云うまでもなくLBGTは「多様性」ではない。
 ベットの中の秘め事を研究し、後ろだ前だ女だ男だオカマだオコゲだと、定義する意味はどこにもない。
 好みは色々ある。それは「多様性」なんてものではない。
 「性の多様性」などのレッテルは言葉遊びどころか、危険な言葉の濫用であり、最初のガス室送りになるユダヤ人に張られた識別シールと同じものだ。
 それをやっているのが「反権力側」であると偽装している連中であるのも悪質だ。
 歴史は繰り返す。
 日本共産党がポルポトとなり、枝野立憲民主党がジェノサイドを起こす。
 独裁政権、言論弾圧、軽々しく言う連中こそ、その邪悪な芽を内に隠す者である。共産党志井はいつまで代表をやるつもりなのか。終生代表か。
 LGBTをノンケは救うことはできない。他人の発言の機会を奪い、代弁することは欺瞞だからだ。連中はどんどんエスカレートさせるだろう。
 当事者なら声を上げて闘え。
 
 

 【 文責 padroll 】


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