はじめに 「日本のウク支援金」
家内が驚いた様子でアタシに言いました。
「まったく驚いたもんだよ。」なんて言った。
なんでもウク支援のカネ、その西側が支援したカネはGDPの割合で見ればアメリカは5位なんだとか。
最も巨額の支援をしているのはアメリカ、そしてEU。戦争屋が牛耳っている国です。
しかしどちらもGDP比で言えばたいしたことはない、そんな話がニュースで流れたんだとか。
GDP比ではトップ3はエストニア、ラトビア、リトアニア。そして次にポーランドと続く。
どの国も先進国ではありません。
日本は0.02パーセントで30位だと言います。
バルト三国はウクにそれだけの支援をしているというわけです。それはロシアを脅威と感じているためとされています。
しかしその真相は分かりません。分かったような話でしかない。
マスコミの話は西側の権力に盲従しているだけです。まるで信用できません。
例えば、ウク寄りを装っていなければまた米国に何をされるか分かったもんではないから、そんなことも考えられるからです。
米国は「東アジアの脅威」などと突然に言い出しています。それと同じことがバルト三国でも警戒されているのかも知れません。
米国がまた「民主化運動」などと工作をして無用の混乱を引き起こすかも知れない、だからウク支援をするフリをするしかない、と。
そんな考え方もできるのです。
イラクに侵攻した口実となった「大量破壊兵器」の存在はありませんでした。
アメリカがウクを支援しているのは「民主主義のため」だそうですが、今のウクのどこにも民主主義などありません。まあアメリカにしても民主主義などとっくにないようですが。
日本はウク支援をせっつかれています。だからこんな話が出てきたのかも知れません。
しかし結局、これは何の意味もない話ではあります。
たんなる比較や割合のトリックに過ぎないのです。
こんなことを取り沙汰して、「我が国のウク支援はまだ大したことがない、だからもっとカネを出せ」、そうした印象操作を仕掛けるための流言に過ぎない。
だいたい日本がウクを支援するというならウクとの間に信頼関係はあるのでしょうか。
ウクに供与した円借款はとうに一方的に反故にされたのです。何の合意も調印もありませんでした。すべてがウヤムヤです。
ウクに国家としてのケジメなどないのです。信用ならない国。それは腐敗国家です。
ロシアの侵攻が始まったばかりの頃でした。早々にウクはいきなり「円借款は返せない」などと嬉々として言ってきたのです。
それはこの支援金に含まれてはいません。
そしていつの間にか我が国は世界銀行に対してウクの連帯保証人になっているのです。
その負担は度外視してGDP比での負担の軽さを言うのでしょうか。
それは欺瞞でしかありません。
アメリカは兵器産業が潤うのかも知れませんが我が国のウク支援のメリットはゼロです。
人の死をネタに「カネが儲かる」とする連中の言動も常軌を逸した異常なものです。それが政治家だというのですから呆れる。
しかしそれでは、逆にウクの得た支援金はウクのかつてのGDP、かつての平時の経済活動に対してどうなのでしょうか。
今ウクが西側から得ている支援はその数百倍、莫大な規模です。するともはや支援している意味さえないということになるのです。
つまり、ウクはもはや「破綻している国家」とさえ言えます。
まるで国が売り飛ばされるようにウクにはカネがつぎ込まれています。そして西側の利権がまたも育ちつつあります。
西側のかつての連合国はこんなトリックを使って我が国に支援金だけを拠出させようとしているのです。
実に詐欺的なことでしかないのです。
移住の失敗はウク支援の失敗と同じ
まあ、今回はここでウク支援という西側の欺瞞について詳しく論じるつもりはありません。
ロシアの正義の前に戦争屋たちの謀略がにっちもさっちもゆかなくなってきていること。
それで我が国は西側のいい財布代わりに狙われていること。
そんなことはわざわざ指弾するまでもないからです。
それで我が国はウクに血税をやっていていいのか。
しかしそれはまた別の機会の話としましょう。
アタシはここで使われた「トリック」について指摘したいからです。
その騙される本質についてお話したいからです。
そうして、まずは私たち市民によくありがちなお話。海外移住計画の失敗について話してみたいと思うのです。
要は比率ということ。
その比較ということから起きる勘違いについてのお話です。
例えば「老後のタイへの移住」という話などが代表的なところかも知れません。
タイは英語も通じるし物価が安いから、と、リタイヤした夫婦が日本から移り住んでいった。そんな話がちょっと前にはよくあったものでした。
実際、タイは日本に較べれば物価が安い、だから日本にいるより安定してゆとりある暮らしが出来る、そんなことを言って希望を胸に移り住んだ多くのリタイヤした人たちがいます。
「安易にタイに移住してしまって後悔している」、そんな体験記事が出ることも珍しくありまません。
いったいなぜなのか。
確かに我が国のカネとタイでのカネの価値はまるで違います。
そこそこの食事をして百円、三度の食事が三百円程度でできるような国です。タイは住居費にしても安い。
だからタイへ引っ越したらいい暮らしが出来るのではないか。彼らはそう考えたのです。
それがどうして失敗してしまうのか。
結局、それは「自分を運んでしまう」ことで失敗しているのです。
経済格差を享受できるようでいても、自分が当事者になれば為替や経済格差、その格差を有利に利用できなくなってしまうということです。
移住するのは当事者自身だからです。
例えば旅行するにしても予算というものがあります。
するとその予算の中で過ごすのですから割高なものは避けるのが当然です。わざわざ割高なものを選んだりはしません。
そうして長く滞在していればだんだんその土地での生活に慣れてしまいます。
やがて現地の人々と同じ感覚になる。
百円のカオマンガイよりも八十円のカオマンガイを選ぶ。もはやそれは贅沢かどうかの話ではありません。ただの経済原則に過ぎません。
誰しも、より安くていいものを選ぶわけです。
そうすると、タイの物価の安さを満喫できてるかというと、そんな実感はなくなってしまってるというわけ。
これは長期に滞在していればいるほどそうなるものです。
「旅の恥はかきすて」どころか、「住めば都」ということになってしまうのです(笑)。
どうせ旅なのだからと、カネにあかせてワガママを通す。それは短い間ならできるかも知れません。しかし移住すればそれどころではなくなってしまいます。
現地に溶け込んでしまえばそこの暮らしは日常になります。
お金の価値が違うのです。日本では考えもしなかったような一円の差、十円の差にカツカツとなってしまうものです。
そうなればゆとりはあまり感じられなくなるのは畢竟。
それが人間です。当然のことです。
タイ移住が失敗する原因
そこには格差の比較で起きる一種の錯覚があります。
億万長者だというならまだしもです。
使い切れないのに墓の下までカネは持っていけない、そう嘆くほどならまだしも、退職金と自宅を売ったぐらいの金持ちではどうしたってそうなります。
錯覚があるのです。
自分が現地に行ってしまえば、そこに住み着いてしまえば格差を利用した豊かさなど感じられなくなると言うことです。
それがタイへの移住が失敗する本質的な原因です。
例えば日本で中流の生活をしている夫婦がいます。
そこそこの退職金と持ち家がある。年金もある。しかしそれでも生活は苦しい。年金と貯金でやりくりするのは苦労するものです。
政府は増税ばかり、苦しくてしょうがない。
するとふと、物価や為替のことを考えてみると「タイに行けば楽になる」なんてことを思う。
そこで行ってみれば実際はどうなのか。
どうしたって彼らが望むのは中流の暮らしです。日本にいたときと同じ暮らしです。しかしそれは「中流のタイ人の暮らし向き」ではないということなのです。
中流のタイ人なら老夫婦が屋台を引いて商売をし、バラック同然のアパートに家財道具もろくになく暮らしていたりするものです。
しかしそれは我が国での中流の暮らしではありません。
欧米の男たちがタイの女性に貢いでやり、自宅を立派なログハウスに建て替えたりしてやることがよくあります。タイの愛人のために田舎の両親のための家を建ててやったりするわけです。
しかしその家の中はまるでカラッポ。
テレビと敷物、小さなタンスがあるぐらい。まるで生活の臭いがしない空虚なものです。
使いあぐねている。困っている。
こういうことがどうして起きるのか。
それは分不相応だから。彼らには中流どころか上流の分不相応な家なのです。
日本から移住していった人たちの場合はどうなのでしょう。
現地的に考えてみれば、現地の中流以上の生活が実は我が国でしてきた暮らしなのです。
まず社会インフラからして違う。治安も違う。民度も違います。
そうなればどうしたってコストはかかります。タイで日本の暮らしをしようとすればコストがかさみます。
場合によってはボディガードさえ雇うハメになるでしょう。金持ちだということになれば色んな危険がつきものだからです。
そうなれば予算はとたんに膨れあがります。
まるで想定とは違ってしまうのです。
「日本での中流の生活」、そんな意識をタイに持ち込めばコストは跳ね上がるのです。
結局、格差を利用したゆとりある暮らし、それは幻想なのです。
だからってタイで中流の生活が果たして出来るでしょうか。それはすなわちバラック暮らしということになります。
我が国での中流という水準もあれば、向こうにも中流の暮らし、その水準というものがあるということです。
それを忘れてしまう。それが誤りなのです。
移民政策の誤り
そうなれば岸田首相が進めている「移民政策の誤り」についても分かることでしょう。
こちらはタイ移住どころの話ではないのです。ことは国内問題。我が国全体の問題です。
今、あちこちの途上国から岸田政権は人間を集めています。
岸田首相は国民の同意もなしにウヤムヤのまま、我が国を移民国にしようとしているのです。
この岸田政権の独裁は万死に値するものです。我が国を破壊することになります。
それにしても、そうして我が国にやってきた連中はどうか。
彼らに汚い仕事、人の嫌がる仕事をさせて日本の通貨で稼がせていい時に帰ってもらう。 反面、日本人はもっと高級な仕事に就くべきだ、それが国力になる、と。
岸田のような連中はこんなことを考えているのでしょうが、いったいどうなのか。
そんな目論見が果たして成立するのかということです。
そこには彼らの日本での暮らしがあることを忘れているのです。
つまり「安い労働力」としての彼らが物価の高い日本でそんなに貯められるかということ、そんなことはないわけです。
きっと彼らの想定よりずっと少ないことでしょう。
彼らはこの国の高い物価の下で暮らすしかありません。
貯えなどそうはできるものではありません。
送金するならその格差を利用することはできます。
相撲取りなんかでも、外国人力士は幕下以下で貰う小遣い程度のカネ、ひと月三万円のカネを母国に送金するといいます。そんな額でも母国ではたいしたカネになります。
元大関の琴欧州もそんなことをしていました。彼はブルガリアの出身です。ブルガリアは欧州の最貧国のひとつ。
しかし相撲部屋の場合、手元に一銭もなくてもご飯がもらえるのです。酒さえ飲める。住居費等、一切カネはかかりません。
相撲界、角界で言えば辞めた力士とて辞めれば親方になって相撲協会に根を下ろそうとするのが普通です。彼らはそうして相撲協会の下でずっと暮らしてゆくことができます。
そうして、やがて日本人との労働格差に彼らは気が付くことになります。
どうして自分たちがやるのは産廃事業や解体業だけなのか、と。
日本人が就労しているそこらのコールセンターとでどうしてそんなに待遇や報酬が違うのか、と。
そんな差別的な扱いには当然に反発が起きるでしょう。
岸田政権としては日本人には高級な仕事をしてもらうことが国力につながる、そんなことを考えているのでしょうがそれは誤りです。
職業に貴賎はありません。それが原則です。むしろこうした特権的な考え方は国を弱めてしまいます。 やがてそんな不満を持った移民が不逞化するのです。法を破り秩序を一顧だにしない反社会勢力の誕生です。
岸田首相はそんなことになっても責任など持ちません。
もともと岸田や今の官僚には国家を運営する能力などありません。
ただアメリカの移民政策になぞらえたというだけです。我が国を破壊することになることには気が付かない。
岸田を引きずり降ろした方がいいのです。
手遅れにならないうちに。
良心に問えば分かること
つまりこれは為替差や経済格差についても同じことなのです。よくある誤解なのです。
経済格差があるから、と、そういう考え方には慢心があります。だから陥穽がある。
それはモノは安く輸入できるかも知れません。安い労働力で安く作らせて日本に輸入することは出来ます。
ただ、自分がそこに行くとなると話は別になってゆくということです。
「為替は日本経済全体にとっては中立である。」それが原理です。
円安で輸出産業が儲かるからと株が上がっています。しかし円の価値は外から見れば下がっているのです。
儲け、つまり「円安で増えた」というその稼ぎは海外から見れば低くなった円の価値による見かけ上の稼ぎに過ぎないのです。
それは国力にはつながりません。
ボンクラ岸田政権はそれを見過ごしにしてハシャいでいる。
移住について言えば、もし自分が中流だと思うなら、まずその「中流」ということは社会階層であることに気付くべきです。
「自分は中流かどうか」、なんて、自分ひとりだけでは意味がないことです。その社会あってのことなのです。一億総中流社会なんて言います。
それはすなわちクラス、社会の中でのその人の経済的、あるいは社会的な位置なのです。
だから移住したいというのなら、まずタイの中流層の暮らしを受け入れられるかどうか、それを考えてみないといけません。
ほとんどの場合はそういうことができる人はいません。ましてや高齢なら尚更です。
日本で日々の暮らしに立ち向かうことを放棄して安直に流れるから間違うのです。
それは傲慢さ、怠惰ゆえです。つい日本で得ていた暮らし向きがタイでそのまま安く買えると考えてしまう。
それが失敗の原因です。
日本の社会の中で中流の暮らしをしていた人たち。日本は治安もよくインフラも整った社会です。タイとはまるで比べようもありません。
確かにタイでタイ人なりの中流の暮らしをとようとすれば豊かでゆとりある生活が出来るでしょう。しかし日本のよい環境に慣れた人々はタイのトタン暮らしなどできようもないのです。
それは先進国意識ならではの傲慢さ、それゆえの誤りです。
そして責任から逃れようとする心の病だともいえます。岸田政権にも同じことが言えます。
億万長者なら違うのかも知れません。
生きてるうちに巨万の富を消費しないと損だ、どうせ墓の下まではカネなど持ってはゆけない、そのぐらいの金持ちならともかく、小銭持ち程度の分際でそんなことを夢想すれば失敗するのは目に見えているのです。
結局、自分が格差のサヤを取れるから商売になるのです。だからいいのであって、自分をそのサヤの対象にしてしまえばそのサヤは当事者としては取れないということです。
そこに問題があるのです。
移民を奴隷のように底辺労働者として受け入れようだなんてどだい無理な話。巧くやれるなんて思っても無理なのです。
海外で安く作らせて日本に持ってくる。それは当事者じゃないからこそできるサヤ取りです。
日本で中流ということ、ならばタイでも同じようにタイなりの中流の暮らしができるのならそれでいい。
しかし日本での中流の暮らしをタイに持ち込もうとして安くできるかと言うと決してそうではないのです。
日本に迎え入れた労働者たち、彼らが我々日本人から見れば最低の生活をしていることを彼らは受け入れられるでしょうか。そうしてカネを貯められるでしょうか。
道端で寝て、ホームレスのようにして暮らす。そんなことは許されるべくもないでしょう。
すると彼らは割高な我が国の物価に甘んじる必要があるのです。そうなればこんな国に来た意味はなくなってゆきます。
狂気の岸田政権が暴走しています。
それと同じ轍を踏む危険は誰にでもあります。
結局、こういうことはひとりの人間として良心に問いかけてみればいいことです。
格差を利用するということはズルをすること。
それが人間としてどうなのか、それを考えてみれば分かることです。
「ウク支援」という言葉はウクの兵士に「戦って死ね」と言っているようなものです。そうして武器を送り続ける。これを良心が許すのでしょうか。
ウクの兵士は被害を出し続け、国家としてはもはや風前の灯です。
しかし先進国にとっては「支援の割合は軽い」と言えるのでしょうか。
そうして「西側にはそれほど負担になっていない」などとして、ウクに武器を送る理由になるとできるのでしょうか。人間が死んでいるというのに。
ウクにとっては西側が送っている兵器は有り余る、もはや余計なほどなのです。
だからウクやロシアの兵士は無駄死にするしかありません。比率からすればそれは正常な衝突、戦争でもないからです。
こういうことを良心が許すのでしょうか。
あるいはタイ、タイに移住して特権階級よろしく為替のチカラをタテに傲慢さを露にするつもりでしょうか。
日本の経済力とタイの経済力の格差、為替の差はご自分の成果ではないのに。
そこで自身の良心は何と応えるのでしょう。
しかし金持ちと睨まれれば安全は保障されません。コストは膨らみ、並大抵の資産では手当てなどできなくなります。
途上国ならではの「インフラの不足」というのはつきものです。それを考えればいくら途上国としても自分で身の回りの社会インフラの整備など無理でしょう。
道路を整備したり上下水道を自分のためにきちんとしたものにするのでしょうか。
渋滞に巻き込まれないように毎回ヘリで移動するのでしょうか(笑)。それは「億万長者」ならできるかも知れませんが(笑)。
そうして移民。
奴隷同然に海外から日本に呼び入れ、低賃金、底辺の労働をさせ、そうしてカネを稼いで持ち帰ってもらえばいい、そうすれば安い労働力が得られて日本人は高度な労働に集中させることができる、と。
そんな人を奴隷にするような考え方に良心は痛まないのでしょうか。
GDPだの為替や物価、中流かどうかなどの社会階級などを比較すれば混乱しがちです。分かりにくいのであれば良心に聞いてみることです。
それを考えれば巧い話などないことは分かるでしょう。
失敗は目に見えているのです。 格差を利用するのは当事者でないからできることなのです。
人間としての良心を持たない人々を「サイコパス」と言います。
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