窓用エアコンとオウム信者

 窓用エアコンってのは微妙な製品だ。
 
 だいたいがあれは エアコンじゃない
 
 昔のあれは クーラー ってんだ(笑)。
 
 普通のクーラーやエアコンだと室外機が大きいし五月蝿い。
 そう、クーラーだと大きすぎる。
 クーラーの室外機はばかでかい
 外でもブンブンと唸っている。気軽に設置ができない。
 
 だから「窓用エアコン」なんてのが登場した。
 

 

 室外機と一体になってるようで、能力や電気効率は劣るけどまあ小さいながらも冷風が出るというのが窓用エアコン。


 
 すごく近くにいるとさわさわと冷たい風が出た。
 ただ、部屋全体は涼しくならなかった。
 
 あれを設置すると窓が半開きになった。外にはそのエアコンが飛び出ている。
 いまでも時々そういう窓をみかける。
 
・・・
 あれを設置してもらった子供というのが少なからずいた。
 どういう連中だったかを振り返ると、そこに見えてくるものがある気がした。
 


 そこそこ裕福で教育水準が高い家庭で、子供のための部屋が用意されていて、そういう「たいていのものは買ってもらえる子供」というのは、自分から言い出したわけでもなかろうに、ちゃっかりと自分の部屋に窓用エアコンをつけていたものだ。
 
 何かしら家族からの配慮があったとうかがえたものだ。
 
 窓用だから窓際、自分の机、勉強机もその窓に近づけて配置している。
 そうして、オーディオセットだのさえ持っていて、作りかけのプラモデルなんかが置いてあったり、マンガや本が整然と並んでいたりして、どう普段過ごしているのか、まるではっきりしない連中だった。
 
 
 家族は兄弟もいて、それなのに騒がしくもなく、なんだか大人しい子供と、ひっそりとしたその家。
 
 そういう連中はあまり来客を好まなかった。
 部屋に遊びに行って窓用エアコンをつけようとするとたいてい嫌がられたが、それだけが理由でもないだろう。
 
 生意気にも電気代が無駄とかは言ったろうか。
 それともひとり用のつましいクーラーの能力だから、あんまり冷えないなと笑われたくないということだったのかも知れないけど。
 
 行くと、たいていどいつもこいつも迷惑そうな顔をしたものだ。他の家の人には必ず来訪を珍しがられた。
 何か子供や青少年でありながら一城の主のような顔をしていて、訪問時間なんかさえ約束させた。
 行けば何の用かみたいな顔をされたものだ。
 

 

 整理されていた部屋は決して自分で片付けたわけではないのだろう、分類とかその感じがどことなく子供のそれのやり方ではなかった。
 家の親などが色々と世話を焼いてくれるようで、その中で特に自分の主張をせず暮らしいていたのだと思う。
 激しいところが妙にない連中が多かったように思える。
 
 隠れてタバコを吸っていた奴でさえなぜか家では吸わなかったり。
 ひとりで何かするというのがなくて、それこそ万引きしたなんて話もない。


 
 教師に受ける連中ではあった。
 大人びたようでいて甘さが見えたり、自立しているようで常に誰かの支えがあるようでいて、どこか辻褄の合わない感じがした。
 
 貧乏な家ではないのにベニヤや合板だらけの棚とか趣味の悪い衣装ケースで、綺麗に整頓されているのに雑然とした印象があって、何かしら外からの影響を受けていたからかそうなったのかと思わせるものがあったものだ。
 
 そう考えると、外の世界の流行というか、その家族らが自分で探したものではなくて、出入りの業者とかそういうどっかからセールスされたものとしての窓用エアコンだったのかもか知れない。
 外からの影響。
 
 親兄弟、姉妹を自分で独占しようとしていたのか、無理に見られないようにしたり、何か外の世界とそいつの世界はシームレスではなかった印象がある。


 
 まさか俺という下界がひどすぎたというわけでもあるまい。
 
 外とのつながり。
 
 そう。
 そんな連中の 窓には、たいてい窓用エアコンがあったんだ (笑)。
 
 比喩的な話だが、彼らが外界とシームレスではなかったとすると合点がいく。
 
 おいそれとその窓は開けられることはなかったから。
 
 
 エアコンをつけようとすると嫌がるもんだからほとんどその冷気は味わったことがなくて、どんなものだったか記憶がほとんどないけれど、窓際にある勉強机の側で自分だけ涼むにはよかったんだろう。
 
 でも陽が当たればすぐに暑くなってしまうからカーテンも引いたんだろうか。
 実用としてはやはりあまり役に立たなかったろう。
 
 ああいうので涼みながら独りで机に向かえる、そういう環境を用意されたお子様というのはそれはそれでリッチなご家庭だったとは思う。
 活用できたかどうかはともかくとしてw。
 
 しかしだからそんな環境が用意されていたからと言って、その涼しい勉強机でカリカリと何かに打ち込んでいた感じもなくて、ごく普通の、頭のよいわけでもないがそこそこの成績のよい教師にウケのよい連中。
 悪い子でもないが善悪の区別がついているようにも思えない子供。
 
 つまりいわゆる「優等生」って奴だった。
 
 先公におぼえがよいくせに健康優良児ってわけでもなく、健全実直の正義漢ってわけでもない。
 群れにまぎれてしまうので特徴が知れない、そんな連中だった気がする。
 

 

 趣味や楽しみに高じるようなタイプはあまりいなかった。
 色々と手をつけたりしていたのか、色んなことを知っているフシはあったが、突き詰めたりはしないようだった。
 オーディオセットだって与えられただけで欲しかったわけではないんだろう。よく扱いがわかってなかったりした。
 
 とにかくああいう連中は淡白だった。
 そこそこに社交的であり、よく群れ、我慢はあまりできない感じで。それでもしつこいわけではないからワガママという感じもしなくて、すっと通り過ぎてしまうような人間。
 
 いつも手に何かが届くような生活をしているんだろうなと思え、なに不自由ない、そのストレスのない日常というものは想像もつかなかった。
 
 あの窓用エアコンで、そういうごく普通というか、普通過ぎる優等生が育っていったんだと思うひとつの振り返り。
 
・・・
 正直、今思えばそういう連中が オウム に引き込まれていったのだと思う。
 
 優等生的な、あいまいさ。
 
 しかしガキの世界に「有能」とか「無能」という言葉はない。
 
 成績が良くてもそれはそれだけの結果でしかない。「優等生」とは先公に受けがよいオトナたちから定義されたヤツラのことだ。
 
 そんな評価は外の先公どもの世界の言葉だというのに、内部のフリをして忍び寄ってきてガキたちにも向けられるものだ。
 そして外の世界から世話を焼かれたり目をかけられたりする。
 
 ガキに実は実感のないよくわからないだけに罪深い評価ともいえる。
 
 
 死刑執行された麻原はともかく、そんな連中の多くがオウムに入信し、取り巻いて渦を巻いてオウムが動くようになった。
 その連中はそういうあいまいで不自然な自分の居場所をオウムに見出していたように思える。
 
 
 オウムに入信した若い連中は、窓用エアコンを持っていた子供のように、何かしら不自然さを抱えた連中が多かったのだと思うのだ。
 

 

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